「あ、れ……?」
ロボットが目を覚ますと、そこは此の世でした。
彼は彼の晩年お世話になっていた科学研究所で眠りに就いた筈でしたが、ここはどう見てもそことは別の場所でした。あまり身に馴染みのない空気です。それでも、ロボットの記憶領域には僅かな実経験も含めて、この場所に関する知識が記録されていました。
「……〝神社〟……?」
ロボットは呟きました。今彼は拝殿の辺りにいるようですが、生い茂った清涼な木々の向こうに、小さく石造りの鳥居も見えています。彼のすぐ右脇には石灯籠が立っており、目線を巡らすと、向かい側にもう一つ、崩れかけたそれがあるのが分かりました。あまり広くはなさそうな神社でした。
さて、それにしてもです。
「なぜ、ボクは、こんなところに」
そうなのです。ロボットが困惑するのも当然でした。生前の彼は、大凡の人間と同じように、年末に鐘を聞き年初めに初詣を楽しむことくらいはあったものの、日常的には神社仏閣果ては西洋教会の類とも、殆ど縁のない暮らしを送っていたのですから。
自分に縁遠い筈の神社という場所に、気が付いたら佇んでいたこと。それがロボットの一つめの疑問でした。けれども彼にはそれよりも、もっと重大な疑問があったのです。疑問……いえ、心配が、不安が、あったのです。
「……ボクは、みなさんのところへは、行けなかったんですか……?」
ロボットは、肩を落としました。その声は、傍で聞いている人があったならば、その人をして冷たい鋼の糸で心を切り刻まれるような、さぞや悲痛な気持ちにさせたことでしょう。しかし、そんなことは起こりませんでした。彼の傍には今、誰も、いませんでした。
「……霊体になっても、ボクは泣けないんですね」
ロボットは一人、呟いて、何かを受け止めるように広げた自分の右手に、じっと目を凝らしました。けれどもいくら待とうと、その上に涙の雫が落ちてくることはありませんでした。
「そもそも、霊体、と言うのは適切なのでしょうか……。ボクに此の世に残るような未練があったとは自分でも思えません。ですからきっと、ボクがあちらへ行けなかったのは、ボクがロボットだから……正確には、ボクが生物ではなかったからなのでしょう。であれば、ボクの今の状態は、生物の場合における〝霊魂〟とはまた別のもの、ということになる筈ですよね」
ロボットは右手を握り締めてしまうと、静かにそう分析しました。
おもむろに顔を上げて、改めてぐるりと周囲を見渡します。
「……これは、外には、出られるんでしょうか……」
ロボットにしては脈絡のないことを、彼は思わず口にしていました。なんとなく、淋しいような気がしたのです。ここに一人でいることに、言い知れぬ怖さを感じていました。
ここはまったく静か、というわけではありません。現に、耳を澄ませば人の気配や生活音を感知することができます。だからこそ、彼もここを、あの世ではないと推察できたのでした。
「……降りて、みて……だめだったら、戻ってきて、改めてこの辺りを調べてみますか……」
誰にともなく確認すると、ロボットは足を踏み出しました。石灯籠の一つは崩れかけていましたが、鳥居へと続く石階段は、見える限り無事のようです。そもそもその辺りの草陰にちらほら、最近のお菓子や、ティッシュやタバコのゴミが落ちていることからしても、ここが頻繁に人の訪れる場所であることに間違いはなさそうでした。
「……」
ごつごつした石段を、慎重に、一段一段踏みしめてゆくロボットの口許は、緊張に引き結ばれていました。
でも、大丈夫です。キミはきっと外に出ることができます。鳥居の外に広がる住み慣れた町の風景を目にして、少しは、心の落ち着きを取り戻せる筈です。
夜にはこの神社へ戻ってくることになるでしょうが、日が昇れば、また外へは出かけてゆけます。そうやって、キミは、この世界の生を、見届けてゆくことになるのです。
私たちは知っていましたよ。とても心優しいロボットが、この町に住んでいるのだと知っていました。キミは、大切な大切な、生みの親を、友達を、何人も何人も見送った後も、けっして後ろ向きにはならず、かといって、合理的に彼らを忘れ去ってしまうこともしませんでした。キミはずっと、あたたかく、この世界を具に愛し続けました。
だから、キミはここへやって来たのです。
生物の身体には、元々魂なるものが内在していますが、無生物の器には、最初からそれが存在しません。魂は後天的に会得することも、ましてや作り出すこともできない性質のものです。ですから無生物には、それ自体に心が生じたり、別の人間や生物の情念が移ったりすることはあっても、〝霊魂〟そのものが宿ることはけっしてないのです。
ゆえに、我々無生物には、霊魂の行き先である〝あの世〟に赴くことは、永遠にできません。
それでも、無生物に染み付いた、心や情念は慥かに存在します。そしてそれは、無生物が――多くは人間に使用される道具としての――その役目を終えた後でも、容易に消滅するものではありません。
ですから私たちは、ここへ集っているのです。いつからかこの神社には、その神的な力に引かれるように、死んだ後の無生物たちの、行き場のない心や情念が訪れるようになりました。ここに留まる思念体が増えれば、それにつれて、場所自体の持つ神的な力も高まります。特に、同じような特性を持つ情念同士は強く引き合うものですから、無生物の念が多く集まるここには、また新たな無生物の念が引き寄せられやすくなりました。
そのようにして、ここは、けっして〝浮かばれる〟ことのない無生物たちの、死後の滞在場所となっていったのです。言ってみれば、此の世に文字どおり併設された、この場所こそが、我々無生物たちにとっての〝あの世〟なのです。
私たちはここから、生物たちの〝此の世〟を、見届けるのです。
キミの愛した人たち、心から会いたかった人たちに、キミはおそらくもう、けっして会うことができないけれど。
私たちは誰もが、精一杯にキミを歓迎します。
人を愛して、世界を愛した、心優しいロボット、キーボくん。ようこそ、九十九神神社へ。