総統とロボット

心ということ

「どうしたんですか?」
「……え?」
 皆がその場から捌けた後だ。珍しくいつまでもキーボが残っていたものだから、電池切れかなんて声をかけて揶揄ってでもやろうかと思っていた矢先、彼の方から口火を切られたのだった。
 完全に予想していなかったことだ。はぐらかし方も咄嗟に思いつかなかったので、素朴に聞き返す。すると彼は淀みない口調で実に淡々と、己の意味するところを述べ立てた。
「王馬クン、なんだかいつもと様子が違いましたから。なんというか……普段よりも機嫌が悪そうというか、態度に余裕がないように見えました」
 キーボはいつもと変わらない、大抵やや過剰である自信に満ちた声をしていた。
「仮にその原因が話題に直接関係のあることであれば――例えば、あの場でキミの分が悪かったのだとすれば、キミなら巧みに隠蔽したか却って利用しようとすらしたでしょう。ですから、ボクはそういった様子からは程遠いキミを見て、話題とはまったく関係のない要因がキミの態度に影響を及ぼしているのだろうと推測したんです。例えば、体調が優れないとか。違いますか?」
 学習した知識を統合してパターンを分析して実際の事例に応用する。それをロボットはこなしてみせて、たぶん王馬の答え合わせを待っていた。王馬からの――人間からの評価を待っていた。
「へえ……見破ってたんだ、びっくりだよ。……でもさ、それならなんでそうと気付いた時点で声をかけてくれなかったの? もしお前の辿り着いた仮定が真だったなら、オレ、頑張りすぎてあの場で倒れてたかもしんないじゃん」
「う、ぐ、そ……それは」
 適当に言葉を練って返してみる。キーボは真っ正直に狼狽えた。お前が観察するとき、対象もまたお前を観察しているのだ。
「く、空気を読んだつもり、だったんです、が……ボクの判断は間違っていましたか?」
 キーボは途端に自信なさげに顎を引いて、こちらを窺うように見た。物事の正誤をよりにもよって王馬に問うとは。しかしそういう意味ではこのロボットは人間に対し常に平等であった。
 だから王馬が「ううん、ロボットにしてはよくやったと思うよ」と答えたのは、彼の合理に敬意を込めてのボーナス点のつもりだ。しかし案の定言われた方は「またそうやって馬鹿にするんですか!!」と無い牙を剥いて唸る。王馬はほんとうに体調が悪いのかもしれなかった。少しこのロボの進歩へ真摯に力を添えてやってもいいだろうと思った。
「今のは馬鹿にしたわけじゃないよ。ほら、お前ってよく『空気が読めない』って詰られてるでしょ?」
「主にキミにですけどね……。それに『今のは』ということはやっぱりいつもは馬鹿にしてるんですね?」
「そんなオレがそんなお前に今に限って『よくやった』って言う意味を考えなってことだよ」
「…………」
 盛大な皮肉か褒めてくれてるかの二極だということは分かっているんです。膨大な沈黙の後、彼はぼやくようにそう呟いた。ここまで一主体の心境が明快に可視化されることはないだろう。王馬はそれをなかなか面白く眺める。
「どっちだろうねえ」
「……どっちなんでしょうね」
 流石に学習していると見えて、キーボはそこの正解を問うことはしなかった。けれどもまだ困っているのはあかあかと伝わってくる。考えることをやめられないロボは、哀れで愚鈍で可笑しかった。
「ところで話は変わるんだけどさー」
「か、変えないでくださいよ……!」
「オレ、今日お前と話せたのはなかなか運が良かったんじゃないかと思うんだよね」
「……え……?」
 ただでさえ戸惑っているところへ違う色形の疑問符が投げ込まれて、その重みに耐えきれなくなったのかロボットの頭部がさらに角度を増して傾いだ。
 にこにこと笑みを見せつけて、さらに懸念材料を増やしてやる。どんなに思考が混線していても考えるのをやめられないロボ。
「気遣おうとしてくれたのは素直に嬉しかったよ。ありがとね、キー坊」
「え、っ……え?」
 キーボは目を丸くして固まって、それから眉を下げて口角を下げて声量も下げた。そうして、
「い、いえ……そんな。推察することくらいしか、できなくて……」
 と言いながら、視線を彷徨わせて、頬を、少し染めた。そんな貌をオレに見せてくれるのなんて初めてだね、と王馬は思う。それは当たり前か、とも。
「ま、表面的な気遣いは果たしたけど別にオレのこと心配してくれたわけではないもんねー」
「なっ! し、しましたよ! してます!」
 今度は別の意味で顔を赤くして鉄塊は噛み付いた。しかしまたぱっと直ぐに雰囲気を和らげると、「……よければ、部屋まで送りましょうか?」などと尋ねる。彼の言葉は、嘘吐きをして別の意味でその口許を緩ませた。
「……えっ……寧ろ帰る方向は同じなのにオレを一人で置いてくつもりだったの? やっぱり口だけでロボに心なんてなかったんだ……」
「だから送りますって言ったでしょう!!」
「いや、オレがヒントあげなきゃ絶対気付かなかっただろ」
「ひ、ヒント……?」
 ぽてぽて歩く。沈黙は穏やかだった。王馬は相手に嘘と分かるくらいに殊更ゆっくりと歩を進めていたけれど、キーボはそれについて何を言うこともなく、歩調を合わせて隣に並んでいた。
 いつ言おうかなあ、と実はまだ考えていた。寄宿舎が見えてきていた。あの戸を潜ってしまって別れるぎりぎりで切り出すべきなのか、それとも保険を掛けてここで……うん、言おう。
「――キー坊はさ」
「な、んですか」
「人間にそこまで夢見なくてもいいと、オレは思うよ」
「……え?」
 僅かに高い位置から、キーボの青いレンズが王馬を見た。僅かに低い位置から、王馬はその視線を受け流していた。
「人間にはロボと違って心があるよ。でも、人間なら誰もが〝心ある〟振舞いをできるってわけじゃない」
「こころ、ある……?」
 王馬は彼の目は見ないまま、首を少し縦に振った。
「心の有無は心ある言動には何ら関わりがない。ロボットが計算でコミュニケーションを測るなら、人間だって、TPOと相手に応じてその都度データを収集して、計算して、意識的に〝心ある〟振舞いを作ってかなくちゃならないんだよ。ロボには分からないのかもしれないけど」
「……最後の一言は余計です」
「余計じゃない。お前はほんとに分かってないように、オレには見える。〝心〟っていう〝器官〟は、たぶんお前が思うほど、優れたものなわけでもないからさ」
 足を止める。自分の目測には狂いがなくて、それはちょうど寄宿舎の手前に辿り着いたときだった。元々酷くゆっくり運んでいた足だから、キーボのそれが王馬のより遥かに行き過ぎてしまうことはなかった。
「……」
「それにね」
 漸く、王馬は隣に立つ鉄塊を振り向いた。憤っているような表情は載っていないようだ。その代わりに、なんだか彼の目許は泣きだしでもしてしまいそうに見えた。
「……もし、キー坊のことを『心ない』っていうんなら、大半の人間には心なんてないよ」
 ふうっと、徐々にロボット・アイが見開かれる。王馬クン、と零される小さな声を聞き届ける前に、「じゃーね!」と身を翻した。
「えっ、あっ! ちょっと……!」
「オレの仮病に親身になってくれてありがと。キー坊はロボの癖にお人好しだな!」
「え……」
 最後、奴がどんな貌をしていたのかは分からない。詰る声が追ってくることはなかったから、よっぽど呆然としたのかもしれなかった。
 王馬は一気に寄宿舎の階段を駆け上がると、勢いのまま自室に飛び込んで――。

 ――ふと目を覚ましたのは、どれくらい経った頃なのだろう。ベッドに文字どおり倒れ込んだまま意識を飛ばしていた王馬は、感覚を取り戻すと同時に異常な寒気を覚えた。背骨を皮膚の下で直に掴まれるような気持ち悪さ。喉の痛みは唾を飲み下すことすら拒んで、その不快感に目尻が軋む。今朝より熱が上がっていることは機械で計測するまでもなく分かった。
 思わず小さく呻く。声を出す毎に漸く息が吸える気がする。少しずつ少しずつ、吸っては吐く合間に、さっきのあたたかな記憶を思い起こした。夢ではなかったろうか。あの冷たい無機質の瞳が、あたたかく自分に寄り添おうとしてくれたこと……。
「……」
 ――ぴんぽーん。
 出し抜けに響いたのはドアチャイムの音だった。風邪を拗らせた耳には多少甲高く、煩わしい。
 王馬はのろのろと頭を持ち上げて、部屋の扉をじんわりと見詰めた。期待して、というよりも、試すような視線で。それもチャイムを鳴らした誰かではなく、何秒だか何分だか何時間だか前の自分自身を、試すような目付きで。
 王馬は半分落っこちるようにベッドを降りると、重い身体を引き摺って、そろりそろりと床を踏む。
 ――かくして。
「……王馬、クン? 開けてもらえませんか。その……食堂で、滋養のありそうなものを見繕ってきたんです、あと、水分も……」
 忍び寄った扉へぴったりくっ付けた耳に、賭けたとおりの相手の声が届いた瞬間、王馬は躊躇わずに鍵のかかっていなかったドアを押し開けた。

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