二大護法善神

そしてその後にお説教

「梵天………………」

 畳の上で三点倒立をしながら相方の名前をもごもご呟き続けている。明らかに不審な人影と化しているそいつに、先程からちらほらと廊下を通りすがる誰もが一瞥をくれようともしない。そりゃ率先して関わりたいような光景でもないだろう。かく言う俺にとってもそうだ。
「……せめて……お前だけはどこにも行かないでくれ……阿修羅」
 関わりたくないので名指しで話を振らないでほしいのだが、天地逆さになった奴の目が悲しそうに俺の目線を捉えてくる。いや、そんな目で見られても正直知らんけれども。
「梵天もちょっと言いつけられておつかいに行っただけだろ。今生の別れでもあるまいに」
「永遠を生きる仏に今生も何も無いのは承知だ……」
「喩えだわバカ」
 バカは――もとい帝釈天は、両掌を徐に畳へ接地し姿勢を倒立に切り替えた。
「俺は……あいつがいないと……だめなんだ……勿論、阿修羅、お前がいないのも」
 バカ――帝釈天は、そわそわと肘を曲げ伸ばしする。余りにも落ち着きが無い態度だもので、見ているこちらの口からは余計に冷めた声しか出ない。
「……お前は元来、一人で大丈夫な器は持ってる男だよ」
「大丈夫……じゃないんだ……俺は……お前が決断してくれて……梵天が正してくれないと……俺は……」
 だめだったんだ、とバカは呟いた。
 俺は呆れて溜息を噛み殺さない。
 とんだ腑抜けになったものだ。いや、こいつは昔からこんなだっただろうか。要は、こいつは。俺たちはこいつから。
「今更ンな言い訳を繕わなくても。
 ――淋しいだけなんだろ、バカだな」
 無駄に軽快だった肘の屈伸があからさまに鈍る。
「……い、いや……その……流石に……それは」
「格好悪いって? ハッ、とことん今更なことを」
「…………むぅ……」
 帝釈天は肘を屈め、前転の要領で半回転し、そのままぱたんと仰向けに倒れた。
「……梵天に嗤われる……」
「あいつは他人を嗤うのか?」
「…………いや」
 沈黙の後にしかしはっきりと言い切って、奴はごろんと俺に背を向けた。手脚をやや丸めて、拗ねた子どものような。
「お前がカッコ悪いってとこも、一人じゃ歩けねえときがあるってとこも、信じられねえくらいバカだってとこも今までに散々見せてきたんだろ。梵天にも、俺にも」
「……待て。バカだという話はしていたか?」
「俺はずっとしてた」
「え……」
 こちらをちらりと振り返った帝釈天は、また悄気たように背中を向け直した。
「――だから、それがお前だってんだよ。帝釈天。お前が情けないってこともそんなお前から甘えまくられてるってことも、とっくに分かって、その上でお前の隣にいる。少なくとも俺は。梵天も、頭が良いからきっとそうなんだろう」
 ただ無闇に淋しさのまま甘えられている。それを自覚して、許している。俺でもそうなのだ。あの賢しそうな、しかも俺と別れている長い間ずっとこいつと共にいた彼ならば、当然に理解していることだろう。
 こいつはバカだが口下手でもある。それは分かっているから、すぐに返りがなくとも、俺は急かさずただ待った。
「……醜い感情に」
「ああ」
「踊らされるのが、俺だと。そしてそれを否定しないでくれると……梵天にも、そう言われたことがある」
 やっぱりか。
 静かに、ひとつひとつ思い出して噛み締めるような帝釈天の声を聞いて思う。あいつがそんなふうに言ってやってくれたから、こいつは、俺の知るこいつのまま、今ここに。
「そうか。だったら一回で覚えとけよ」
 俺が茶化せば、帝釈天は一瞬、――おそらく呼吸を整えた。
「……バカだから、何度でも教えてほしい」
「そうか」
「ああ」
 俺が声を上げて笑うと、帝釈天も、肩越しに少しだけ笑った。

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