帝梵

タピオカパールで色取って

「あみだにょらいさま!」
 いかにもほくほくとした声が返ってくる。その顔はちょっと見ないような、蕩けるような幸せを表した笑みだ。
 そして目を惹くのは何よりも、
「珍しい格好をしているな、梵天」
「ええ!」
 梵天は明るく答え、その場でくるりとターンしてみせた。
「阿閦如来様が見繕ってくださったのです」
 白いブラウスにサスペンダー付きのパンツ、やわらかそうな色のカーディガンは袖がやや余っていて、成程阿閦のセンスらしい。少しヒールのある足許は、彼に似合う程度のフェミニンなシルエットに見えた。
 髪に咲く花はいつもどおりに芳しげだが、宝髻は小洒落たゆるふわお団子ヘアに結い直されている。
「なかなか様になっているな」
「ありがとうございます。なんと、このブラウスは阿閦如来様が手作りしてくださったのですよ!」
「ほう……」
 最近彼が部屋に籠っている時間が長いようなと思っていたが、そういうことだったか。しかしやはり腕前が見事なものである。梵天の感激も一入であろうことは頷けた。
「それで、現世風のおめかしをして、今日はどこかへお出掛けか?」
「あっ、……え、ええと」
 彼がショルダーバッグを掛けていることから問うと、思いがけず、何やら梵天は言葉に詰まった。
「その……ですね? あの……ほ、仏である私が、こんなことに浮かれるのは、その……どうかというのは、分かっている、の、ですが」
 両手の指先をおろおろと擦り合わせて、いかにも気弱な声を吐く。ばつが悪そうにぎこちなく上がった口角に、彼の生真面目さが滲んでいた。
「……。話してみろ。たとえ醜くても、軽蔑したりはしないさ」
 それは勿論、心からの言葉だ。
 促せば、梵天はいつか俺が言ったことを上手く思い出してくれたか、微かにほっと息を吐いた。
「…………と、なんです」
「……ん?」
 俯きながら発せられた声があまりにか細く、上手く聞き取れない。責めるような詰問と聞こえぬよう努めて気を付けて問い返せば、梵天がやや顔を上げた。目でもっても伝えようとするように、俺の視線を強く捉え返す。
 その顔は茹でたように紅く。
「った、帝釈天とっ……! これから、デート、なんです!」
 はわ、と気力を使い果たしたような声を漏らして、梵天は湯気の立ちそうな顔を片手で覆った。――爪がオレンジ色に塗られていることに、このとき気付いた。
「……観音菩薩様には……現世に関する『勉強料』だと言って……地蔵菩薩様が費用を工面してくださって。実際私は、そのつもりでもあるのですが……けど……、……」
 梵天はぱたぱたと、もう片方の手で自らの顔を煽いだ。
「いいなあ、恋」
「……阿弥陀如来様。仏が、恋などと言っては」
 そう呟く梵天の声は、その実もう半ば以上諦めたように、落ち着いていた。
「救いのあり方も、そのために何をどう肯定するのかも、時代によって変わりうるし、俺はそれをよいことだと思っているぞ」
 偶々夏の名残で差していた扇子で、梵天の顔を煽いでやる。咄嗟に目を瞠った彼はしかし、諦めてくれたのか、心地好さそうにこの風を受けた。
「……帝釈天を、」
「うん」
「好きなんです」
「そうか」
「愛しているのかは、分からないけれど」
「その想いが、互いを致命的に傷付けぬ限りは、大事にしてやるといいんじゃないか」
「……はい」
 梵天は、溶けたように首を傾げた。緩やかな波を描く横髪が流れて、やわらかさを取り戻した笑顔へ、風に煽られつつふわりと掛かった。
「……あっ! もうこんな時間か」
 腕時計を見た梵天が声を上げる。
「それでは――いってきます」
 手櫛で前髪を整えて、ショルダーバッグの肩紐を握り締めた彼は、そのまま寺の門へと歩いて行く。不思議に思ってそれを再々呼び止める。
「一緒に行かないのか?」
「ああ……」
 梵天は足を止め、少し照れたように教えてくれた。
「より〝デート〟らしく、外で待ち合わせをしようという話になりまして。私が先にここを出て、あいつを待つ約束なんです」
「なるほどな」
 弾むように駆けてゆく梵天の背が門を潜った瞬間、ぽんと擬態の術が掛かったのが分かった。これで、人々の目にはいつもと同じ、制服を着た子どもの姿が映ることだろう。
「成程、恋とは興味深い情緒だな……」
「……阿弥陀如来様?」
 梵天を見送ってなおそこへ佇み思索に耽っていると、背中から声を掛けられた。
 真っ直ぐで朴訥な声。
 振り返ると、そこには。

「――ああ、帝釈天。珍しい格好をしているな。
 現世風のおめかしをして、今日は誰かとお出掛けか?」

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