「……自分、案外器用やねんな」
長い髪を結ったことがあるのかと訊いてみたが、そんなもんあるわけないと返ってくる。初めて触って、こんなに取り扱い方が分かるもんなんだろうか。
「……俺はねーけど俺の持ち主にはあったりしたんじゃねーの。知らねぇけど」
「ああ、なるほどな」
ゴーストは合点して、靄のさっぱり晴れた眼でひょいっと鏡を覗き込んでみた。大きめの手鏡にばっちりと映り込んでいる。今し方、八九が数十分掛けて試行錯誤してくれた、ヘアアレンジの完成形、その全貌が。
「……いやめっちゃええやん。ほんまに上手いな、びっくりしたわ」
「……そりゃどーも」
形としてはなんてことない、所謂シンプルな三つ編みカチューシャにいつものポニーテールを合わせたものだ。けれども、ほつれた部分もなく丁寧に編み込まれているし、ピンの留め方もしっかりしてるし、なんなら後ろに揺れているしっぽはいつもよりもふんわりと淑やかに纏まっているような気がした。これは、三つ編みに使った分だけ毛量が少なくなったからだろうか、それとも何かのマジックなんだろうか。
どちらにしてもやっぱり初心者の所業だとは思い難くて、ゴーストは再び首を傾げた。八九がゴーストの髪で遊ぶこと自体は、今日が初めてというわけではないけれど、それでもここ数日ちょいちょいと触らせていた程度なのだ。……いや、そういえば本当に本当の初めてのときは、かなりおっかなびっくりな手付きだったか。あんな演技ができるほど、そういう意味で器用なやつではないと思うので、やっぱりのやっぱり、八九自身にそういう経験がないというのは本当なのかもしれない。
何にせよ、八九がゴーストの髪型を作り上げてくれたという出来事自体は、今日のこれが紛れもなく初めてのことなのだ。結んでみてほしいなぁと軽口で誘ったのはゴーストだけれども、その際に髪型を指定したわけではなかったので、三つ編みの部分はほぼ完全に八九の独断及び独学の産物だ。
ゴーストは努めて何の気ないような素振りを作った。ふとした軽口みたいに、さもそこには何の意味も意図も、ひょっとしたら意識すらもないかのような、薄っぺらい口振りを作った。
そうして訊いた。
「八九はこういうのが好きなん?」
さも何の気もないように。あたかも適当なその場繋ぎの軽口を、無意識に零しただけでしかないみたいに。最低限の声の震え、絶妙な抑揚、向けない意識、鏡の中に視線を。彼の作った前髪に指を遣って、あぁそろそろ切った方がええかなぁなんて、まるでこのかたちを彼が整えてくれたことなんてもう何とも思っていないみたいな仕草で。
「……そういうの、っつうか」
彼の声が返ってきた。
自分の肩が跳ねてしまったような気がした。軽口に軽口が返ってくるのは当たり前なのである。それなのに、軽口を差し向けておきながらゴーストは、そのいらえを聞く準備をすることができていなかったのだ。
どきどきする。……緊張、している。ああ、そうだ。たったこれだけのことなのに。たった、しかもたかだかこいつの言葉を数文字分聞くというだけのことなのに!
自分で訊いたことなのに、そこに何が返ってくるのかまるで予想もできなくて、いや、想像すらもしたくなくて怖いのだ。そう、怖いのだ。ゴーストは怖がっていた。自分の方からは何も分からない他者、そんな存在と恋をしている。彼に、恋をしている。そんなことが、こんなにも自分の中の恐怖を根こそぎ掻き集めるみたいに叩き起こして回っている。
もう、真顔ってどんなものだったのか分からなくなっている。破裂しそうなほど脈打っても、心臓の動きは外見からしてちゃんと隠せているものなのかしらん?
震えそうになった指を慌てて下ろしたゴーストの耳に、恋を向ける相手の声が、届いた。
「そういうの、して、嬉しそうにしてるお前のことは、……か、……かっ、かわいいと、思う」