「……おっ?」
タバティエールだ、と声が続いたので、俺ですよと思わず返しながら振り向いた。
最初の一言は、まぁるく目を見開くのが思い浮かぶくらいにぴょんっと跳ねた声。二言目は、自分と同じくらいの図体の貴銃士を呼ぶにしては、こう言っちゃなんだが勿体無いくらいに、柔らかい声。
十手だ。
「こんな夜更けに、料理かい?」
「あぁ……まあな。無心で作業してると、なんだか頭の中がさっぱりする気がしてさ。よくこうしてキッチン借りてるんだ。お前こそどうした? こんな時間に」
「俺はちょっと、寝付けなくてね。何か飲み物をと思って……」
十手は静かに笑う。ジョージくんやマークスくんについていけるくらいパワフルだし、彼らに負けてないんじゃないかってほど賑やかなときさえあるものの、今の彼は、寝静まった寄宿舎の空気に、じっくりと馴染んで溶けてゆくような声しか出していなかった。
穏やかで、静かで、人を傷付けない。まろやかな空気を毛羽立てない。
元々、そういう性質なのだろう。十手というひとが。十手という貴銃士が――あるいは、銃としての彼そのものが。
俺は胸中で首を振って余計な思考を打ち消すと、「よければハーブティーでも淹れるぜ」と持ち掛けた。
「え! けど、料理の最中だろう? 邪魔するつもりで来たんじゃあないし、自分でやるよ」
「いや、ちょうど下拵えが終わって一区切りついたもんでな。休憩でもしようかと思ってたところさ。自分のを淹れるついでってやつだよ」
「……本当かい? ……じゃあ、お願いしてもいいかなぁ?」
「Bien sûr. ちょっと待ってな」
俺がキッチンの外を指し示したので、十手は大人しく、隣接する食堂の方へと出ていった。
追い払ったわけじゃない。鬱陶しいと思ったわけでは――ない、……けっして。
ティザンのポットを持って食堂を覗くと、それよりも早く立ち上がっていた十手が、既に小走りで寄って来ていた。
「いやぁ〜、ありがとう! タバティエールの淹れるお茶はとても美味しいってシャルルヴィル君から聞いていたから、いつか飲めたらなぁと密かに思ってたんだ!」
「はは……大袈裟だな。言ってくれりゃいつでも淹れるのに、このくらい……」
お世辞ではないであろう言葉に、俺の方は愛想笑いで返す。シャルルくんは勿論、十手だって、俺なんかにもいつも真っ直ぐな言葉をくれる。その穏やかな心根から生まれる、柔らかな思い遣りを、日向に咲くような笑みを、真っ直ぐにそのまま。
だけれども俺は違う。俺は十手とは違う。俺の心根は――俺の本来は、俺という銃は。
「……」
十手がふと黙った。異変に気付いて俺は漸く、逸らしがちだった目線を、彼の方へとまともに向けた。そうして息を呑んだ。……十手は、眉根を寄せて、何かを苦しげに思い悩む顔をしていた。
ああ、これは、ひょっとしたらまずい。
「……あの、タバティエール。実は……君と話したいことがある」
気まずげに搾り出されたその声を聞いて、俺は嫌な予感が的中したことを悟った。
――数十分後、俺はぐったりと食堂の椅子に凭れていた。
観念して喋った。洗いざらいとまでは流石にいかないが、かなり――他人に、少なくとも自分が下らないコンプレックスを抱いている相手本人に、言うべきじゃないようなことまで打ち明けていた。
とっくに冷え切ったティザンの、香りを残す二つのカップをぼんやりと眺める。俺の話を打ち明けられた本人であるところの十手は、なぜか安心したように笑っていたので、それだけが救いといえば救いだった。
「……本当に、悪かった。大人げない話だ。だから腹ん中に仕舞っとこうと思ってたのに、まさか本人に勘付かれちまうくらい、態度に出てたなんて、な……」
「はっはっは! まぁそう落ち込まないでくれ。……俺は同心の十手だからな、もしかしたら他人よりちょいと、勘が冴えてるところがあるのかもしれないよ」
十手は愉快そうな笑い声を上げたかと思うと、少しボリュームとテンポを落としてそんな気遣いを述べる。それがこの期に及んで胸を刺しそうになるので、「あ――、あぁー」と俺は声に出して呻いた。
どうせ打ち消そうとしたところでばれてしまう。それならば、少しお道化混じりに、さっぱり先手を打って白状しちまった方がいいのだろうから。
「うえぇっ!? な、……何か気に障っただろうか?」
「気に障ったというか、俺がまた勝手に引け目を感じそうになっただけだよ」
「引け目……引け目なぁ」
「そう。お前の優しい態度。柔らかい言葉。そういうのに対してね。ほんと、身勝手な話だよな。ごめんな?」
「うぅーん……」
同心の十手殿は、口許に手を遣って唸りながら何やら考え込み始めた。
俺は手持ち無沙汰にポットを傾けてみて、出てきたのがやはり冷たい色水だったので改めてがっかりする。いや、こんな情けない心持ちのときには、却ってこの侘しさがしっくりくるような気もして、そんな思考こそが心悲しく、うっすらと自嘲の笑みが浮かんだ。
「……タバティエール」
「うん? へいへい、冷めちまったから淹れ直してこようか?」
「いや、それは後でお願いするとして、先ずは俺の考えを聞いてほしい」
「……へーい……」
俺は露骨に腹の決まっていない声を返すと、ゆっくりと椅子に座り直した。
まあそりゃ、散々自分勝手なことを一方的にぶち撒けたのだから、向こうの言い分だって多少は聞いてやらないとそれこそ人としてどうなんだって話だ。
これから長〜いお説教でも始まるかねぇ……と俺が鈍い覚悟を漸く決めたとき、しかし顔を上げた俺を迎え撃ったのは、真っ直ぐでなんとも晴れ晴れとした視線と、人懐っこい情に満ちた温かな声だった。
「俺が思うに――タバティエールこそ、気遣いが上手いし、人に対して優しいし……そういった点で、俺の方が特に君よりも優れているとは思えない」
俺は射竦められたかのように、すうっと凪いでいく心地を漂いながら十手の話を聞いていた。
「だからやっぱり、さっき君が自分で言っていたように……〝俺という銃の来歴に対する憧憬〟みたいなものが、君の心に無用な劣等感を見せているんじゃないかなと思うんだ」
「……うん……うん」
「俺は、元々、銃じゃなかった。人々の暮らしを守る同心の象徴として使われていて、戦場に立つ兵士の許で活躍したことなんか一回も無い」
「……ああ。知ってる」
「君には話したものな。まさか……酒の席でぽろっと打ち明けたことが、そんなに君の心を煩わせていたなんて気付かなくて。俺の方こそすまなかった」
「お前が謝るなよ。……俺が余計に惨めになるだろ?」
「はは、そうかい? じゃあ撤回しておくよ。……うん。まあ、そうだね。羨ましかったのはこっちの方なんだぞ! ……っていうのが正直なところなんだが。……っていうことくらいは、意趣返しとして言っても許される範疇だろうか?」
「……!」
「……あはは」
十手はそこで初めて照れくさそうに――決まり悪そうに、眉を下げて笑った。
俺が慌てて言葉を捻り出す前に、十手が、変わらない笑顔のまま続けた。
「だからね、言っても仕方のないことさ。……仕方のない、ことだよ。お互いに羨んだって、たとえ生まれが入れ替わったとしたって、きっと同じようなことで悩んでいたさ、俺たちは」
「……そう、かもな。きっと。俺らのことだから……」
「……! そう! 〝俺らのことだから〟な!」
俺がぽつりと零した言葉に、何か甚く気にいるところがあったらしい。十手は嬉しげに、ぱっと笑った。
その笑顔を見ていて、こっちもなんだか、彼の喜ぶところになんとなく覚えがあるような気がしてくる。共感が生まれた気がする。ひょっとしたら俺は、いい友人――を、持ったのかもしれないと、思った。
「来歴はどうあれ、俺たちは今、同じ〝貴銃士〟さ。これからどう生きるか、どういうふうに自分の力を使っていくのかは――まあ、〝マスターの意のままに〟って部分も無意識の内にはあるのかもしれないが、それにしたって自分でコントロールできる範囲は広いだろう? 少なくとも、ただの物であったときよりもずっとな。せっかくなら、そのことを大事にしていこうじゃないか。俺は、タバティエールの〝優しさ〟は、君の持ち主が優しかったからという理由だけで成し得ているものじゃないと思ってるよ」
俺にはそう見えてる、と呟いた十手が、ちら、とティーポットに視線を落とす。
俺はそれを見逃しはせず、今度こそそれを掴んで勢いよく立ち上がった。
「淹れ直してくる。……熱いの飲み直したら、今度こそ寝ちまえよ」
「はは! うん、ありがとう」
やっぱり優しいなぁ〜、と背中から聞こえたのは、彼にしては珍しく茶化すような、どちらかといえば意地の悪い声色だった。
……やれやれ。自分の甘さが引鉄だったとはいえ、こんなのはティザンで流し込めるような話じゃないっての。
次の機会があればワインか日本酒を是非とも味方につけとかねぇと。素面じゃあ、こんなのは、とてもとても。