じてライ

客観評価のアイラブユー

 いやいやいや。
 ぜってぇあり得ねえから。

『実は面倒見いいんだなぁ』
『あ……そ、そうだね。ありがとう……』
『――ああして励ましてくれるし、』

「ライク・ツー君」

「……っだあぁぁもう! っんだよ!?」
「えぇっ!?」

 悶々とかかる靄を振り払うように叫んだら、ごく近いところから驚いたような声が聞こえて俺の方がびっくりした。……いや、今のはお前の方がびっくりしてるか。悪い。現状と回想が混線して、頭ん中がわけ分かんないことになってたんだよ。
「……あー、いや……」
「あはは……もしかして、疲れてるかい? ライク・ツー君は俺たちの中でも一等しっかりしてるから、こうやって教官から頼まれ事する機会も多いしなぁ……」
 ずっと隣を歩いていた相手に、名前を呼ばれただけでいきなり怒鳴り返してしまった俺を、十手はそんなふうに言って気遣ってくる。こいつのなんつーかふにゃっとした声と、眉尻下げてへにょっと笑う顔は、その言葉が単なる世辞とか方便じゃないって分からせてくるから、個人的には苦手だ。
「……いや平気。つーか、授業で使う資料運ぶくらい、別に誰にでも頼むだろ。今日は偶々、俺も近くにいたってだけで」
「だとしても、すごく助かってるよ。俺たち……いや、俺も、ライク・ツー君に助けてもらってばかりじゃなく、君のフォローをできるくらいにまで、早く成長しないといけないね……」
 たかだか、授業テキストを恭遠に指名されたまま二人で半分ずつ運んでいるだけのことで、こいつは大袈裟に辛気臭い顔をする。
 思わず顔を顰めた俺の意図をどう受け取ったのか、十手はまた真面目に表情を引き締めて首を振った。
「今回のことだけじゃないさ。君はいろんなことによく気が付くし、頭の回転も速くて――射撃の技術が高く戦術の知識が豊富なのは勿論だけど、人の思考や行動のパターンを普段からよく把握していて、それを使って臨機応変に場を回すのだってとても上手い」
 何、神妙な顔でやたら褒め倒してくるじゃん。幾らお人好しのこいつの言うこととはいえ、その脈絡のなさには流石に俺も気味が悪くなってきた。
 ので、その心境をそのまんま声に乗せてやる。
「は? んなの当然だから。俺のこと誰だと思ってる?」
「……ライク・ツー君」
「UL85A2! なら、完璧に決まってんじゃん。フォローとか、考えなくていいから。お前らにそんなんされたって余計なお世話――」
「……だからだよ」
 またもや眉毛をへにょっとさせて、十手は俺のことを静かに見詰めた。……何、怖。あいつが足を止めるから、俺もそのまんま追い越して行くことはできなくて、仕方なく立ち止まっていた。日頃あんまり使われていないらしい社会科準備室前の廊下は、今この時も例に漏れず、人の気配すらなくてしんとしていた。
「〝余計なお世話〟じゃなくなりたいんだ。完璧な合理主義者の君に、温情で一緒にいさせてもらおうとするんじゃなくて……きちんと対等な存在として、隣にいられるようにならないと」
「……ふぅん……?」
 僕はそう返すのが精一杯だった。
「……戦場では、他の味方のことを一々気にしてなんていられない。また、味方の助けがあることを前提に動いていてもいけない。基本は、各々が自分一人で目標を完遂して、生還できるように訓練しておくこと――それが叶って初めて、自立した仲間同士のフォローや連携が活きてくる、ってことだろう?」
 十手が、緩やかな水の流れのように語るのは、彼自身の言葉じゃない。
 それは強いて言うなら、僕――いや、俺の考えに少しは近いようなものだった。
「だとすれば、俺はそうありたいってことさ。自分のことも儘ならないくせに人のことに手を出そうとするお節介者、ではなくて――対等な貴銃士として、時には必要に応じた助力を仲間に与えられるように。……そうすればっ! ライク・ツー君の考えにも合って君の理想にも適う! さらにさらに、俺も君の力になることができるから俺の希望も叶う! 全部が、まぁるく収まるなあ!」
 あっはっは! と十手は途端に、いつもどおりのちょっと芝居がかってるくらいの豪快さで笑い出した。
 笑って、笑って、一通りそれが終わると案外、すん……って、賑やかな波を自分の方に引き寄せるようにして大人しくなっていく。けど、静かになった表情の中にも、目許なんかには特に、血の通った笑みが笑い皺みたいに名残を引いたりしていて。それがけっこー好きって思う……いや何でもない。何か言ったか、俺?
 黙ってろよ俺の中の俺。殴るぞ俺の中の俺。
「……あっそ」
 そう返す俺の声が不機嫌になったのは、俺の所為であって、今回に限っては別に十手の方に非はないのだった。
「そういうことなら、別に……したいようにすれば? ま、期待せずに待っとくわ」
「ああ。期待はしないでくれていいよ。俺が自分自身の力で、当然、為すべきことだから」
「うん、まあ、……そーだけど……」
 俺はなんだか釈然としなくて、もごもご言葉を濁した。
 十手は俺に柔らかく笑い掛けたのを最後に、くるっと身体の向きを変えて再びゆっくり歩き出す。俺は一人でぼうっと突っ立ってるわけにもいかないから、仕方なく彼に倣って足を動かし始めた。
「……つーか、お前は今でも、別に……自分で言うほど頼りなくはねぇからな」
 俺は微妙に後方から言葉を放り投げた。十手の、茶色い髪がぴょんぴょん跳ねてる後頭部にこつんと当たって、肩がちょっと反応したのが分かる。
 振り向かれたとしてもやめないつもりではあったけど、十手は前を向いたまま「そうかな……?」と呟いただけだったから、俺は内心ほっとして言葉を続けた。
「うん……そりゃ、実弾での戦闘は全然駄目だけど、それは銃本来の性能的に当然のことだし。お前はさ、手先だけはやたら器用で……俺のこと、頭の回転が速いとか言ったけど、お前だって充分機転が利くじゃん。俺が作戦案とか考察とか話すと、その内容を誰よりも早く理解してくれるしな。
 それに、なんつうか……俺が言うのも何だけど、人間って、合理性だけじゃ動かねぇもんだから」
 その瞬間、十手がこっちを振り向いた。ああ、クソ。つか一々足を止めんな。
 俺は今度は構わずそいつを足早に追い抜いた。こいつのお喋りに付き合ってたら簡単に日が暮れちまう。いや、時間も忘れて喋ってたくなるとかそういうことでは全くなくてだな。
「――お前は、人を動かすのが俺なんかよりずっと上手いよ。まぁ、お前自身は人を動かそうって思ってやってるわけじゃないだろうけど……そういう、下心のなさがいいんだろうな。マスターは固より、マークスやら他の貴銃士たち、士官学校の生徒、果ては街で行き合った全く見ず知らずの人間にまで――何の他意もなく手を差し伸べられる。それと同時に、やつらの良心を真っ向から信じて、逆に助けを求めることもできる。そんなふうに接されると――自ら行動を起こしたいって、思えるようになるんだろうよ、人ってのは。
 ……俺には、そんなふうにすることはできないから。だからお前がいてくれると、助かる。理屈を頭で分かれねえやつも、頭で分かっても動けねえやつも、お前に声を掛けられたなら――ああ、十手がそう言うならって、動こうって気になれんだよ。多分だけどな」
 あんまり声を張らずに、殆ど独り言みたいに喋った。そんな俺の声を、聞き拾おうとして十手のおっさんは必死について来る。自分の立てる足音すらも邪魔だと思ってるのか、ものすごい静かな早歩きを披露してくるけど、何それ、ニンジャだとか何とかの歩行法?
 うざ、ってあんまり本気じゃない悪態を吐いて横目で睨んだら、十手は何か必死な顔をしていた。……泣きそうな、顔? をしていた。
 それは、慣れないニンジャ歩きをしてるからってことだけではなさそうだった。思わず歩調が緩んでしまう。ライク・ツー君、呼ぶ声が頭に届く。うん、って僕は何も考えられなくなったみたいに返す。すると十手の表情は僕の目の前でへにゃっと崩れて、とろけたカスタードクリームみたいな奇妙な柔らかさを顕した。
「あの……ありがとう。君に励ましてもらえると俺はすごく元気が出てくるんだ。嬉しい……けど、同時に今はちょっと後ろめたくもある。……それがなぜなのか、君にはひょっとして、分かってしまったりするかい?」
 だから、一々足を止めるなって。え? 先に止めたのは俺……だったっけ。分からない。何も分からない、もう。
 分かんないよ。
「……俺にはね、下心が〝ある〟からさ」
 十手は困ったみたいに吐息で笑った。自分自身で答え合わせを済ませてしまった彼は、相変わらずちょっと泣きそうな目をしている、と俺は思った。
「君の言ったように、〝他人を動かそう〟として何かをするっていう意味での下心は、ないかもしれないけれど――別の意味でのそれは、確かに俺の中にある。……特に、君に対してはね、」
 柔らかい語尾を、震わせながら切り上げる。自分に向けられた心の話だと聞かされれば、そのまま流してやるわけにもいかなくて、俺は十手の泣き出しそうな目をじっと見詰めた。だって、これはただ勝手に言わせておけばいいだけの陰口なんかとは全く違うものなんだから。――どうして?
 〝どうして〟? それは、これが俺にとってどうでもいいやつの放つ言葉じゃないからだ。
 どうでもいい、って嘯いて目を逸らしちまえるような、そんな有象無象の言葉なんかじゃ全然ないからだろ。
「……どういう意味?」
 だから、俺は訊く。続きを言い淀む十手に問い質す。言いかけたなら最後まで言え、気になるだろ、ほかでもないお前の言葉なんだからって。
 そうしたら、十手は甘苦いカラメルを掛けたみたいな変な顔になって、やっと、口を割ったんだ。

「……単純に、君の負担を減らしてあげたいっていう思いがあるのも本当だよ。でも……君にあんまり迷惑を掛けて、嫌われてしまいたくないって気持ちも強いんだ。それに、もっと言ってしまうと……君は、俺にだけは、少しは甘えてくれるようにならないかなあっていう……独りよがりな夢みたいなものもあるんだ、君にとってはそれこそ余計なお世話かもしれないけどね、……はは……。
 ……だからこれは本当にただの俺自身の欲求……下心、だよ。
 例えば……さっき俺が君の名前を呼んだときみたいに――君の落ち込んでる理由が分からないとき、君自身からもそれについて教えてもらえないとき、――君に申し訳なくなるのと同時に、俺自身がすごく悲しくなってしまうんだ。
 最近やっと、君の優しさだとか可愛らしいところだとかを、考え込まずともすっと理解できるようになってきたってのに……また、越えなきゃならない壁が出来ちまうってのは、本当に、切ないことだからなあ……」

 吐き出し終えたらしい彼は、白状する前よりも随分、楽になったような顔付きをしていた。穏やかに微笑んで、俺の目をいっとき、見詰める。その思い掛けない深さに、俺はまるで心臓の裏側を撫でられたような気分になった。それが不快でなかったのが自分で一番不思議だった。
 聞いてくれてありがとう、と十手は言う。行こうか、と歩き出す。
 ――俺は置いて行かれたくなくて、小走りにその背中に追いつくと、躊躇わず真横に並んだ。

 あり得ない。
 絶対にぜったいにあり得ない。

 俺が、……恋、なんて、そんなの。

 本当に絶対に絶対にあり得ないんだ。
 でも。
 ――俺は、置いて行くのも置いて行かれるのも御免だから。

 だからもう、止まれない。

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