来世では一緒に生きよう、なんてロマンスみたいな台詞だったけども、あの人は本気で言ってくれたのだし僕はそれを心から信じたから安らかに目を閉じたのだ。
「――柚葱、君」
「――……!!」
目が合って、稲妻に貫かれたみたいに駆け出したことは憶えている。
駆け出した――いや、身体が疾っていた。その後のことは記憶がない。ただ、気付くとわんわん泣いていた。僕は。
十手の胸で泣いていた。正確に言うとフェンス越しに、だったが。外から校庭を見ていたのは確かに十手だった。十手なのだから何も警戒するようなことはないのに、学校の先生たちも友だちたちも、よく考えたら前世での十手のことなんて知らない者たちばかりなのだった。
だから、幼気な女子学生である僕が外部の男から何か危害を加えられていると判断されてか、校舎の方から物凄い勢いで大人が何人もすっ飛んできた。らしい。本当に僕は何も憶えていなかった。
ただ、十手だということだけがはっきりと分かっていた。
漸く、それも本当に、十手に逢えたんだということだけ。その日の僕にはそれが全てで、その時の僕にはそれ以外のなんにも要らなかった。入らなかった。
世界が、たった一つの事実だけでいっぱいになってしまった。
* * *
あの頃とは随分違う場所に生まれていた。
似ているようで決定的に違う歴史を辿った時間軸だった。こういうのを平行世界っていうんだろうか。
あのとき貴銃士という奇跡が有って、マスターという者が居て、それぞれとして生まれた僕らは一緒に生きることができなかった。
いや、〝同じ様に生きること〟だけができなかったんだ。同じ人間として老いること、同じ貴銃士として眠りに就くこと、そういったことができない二人だった。
恋をしたかった。
気を遣い合わずに恋をしたかっただけだ。
「……柚葱君」
十手が物言いたげに……いや、言いたくはなさそうに重たげに口を開いている。言いたくないのなら言わないでほしい、ううん、でも、言わずにおれない十手だから好きなのだ。僕は。そんな誠実な彼だから、ずっと、好きで。そしてどうしようもない。彼が誠実なひとであるかぎり僕は、彼のことがだいすきで、そして彼が誠実であってくれようとするかぎり、恋は、この恋は、行き詰まる。
「……迎えに来るのが遅かったなあ。生まれてくるのが早かったなあ。いつまでもだめなやつで、すまなかったなあ……どうしても、君のこと探したくて、約束を果たしに行きたくて、――急いてしまったようだよ。一人で。情けない。申し訳ない。俺が、――俺が……――」
俯く瞳の悲しそうな色の素直さは、何も変わっちゃいなかった。
神様でもあるまいに、いつどこにどう生まれるかなんて誰も自分で決められない。そんなもの決められたなら、地球上にあふれる苦痛の一体どれだけが端から無かっただろう。
……これでもいいのに。
僕は思う。口にしてもいいのかを、それなのにずっと悩んでいる。
どうしたってずっと好きだった。僕は、この世界ではまだ子どもかも知れないけれど、でももう疾っくに子どもじゃない。前は、最初は、そう、まだ十代も半ばの学生の頃から好きだったけれど、けど、でも、ね、もう、おねがい。
お願い。
だって生まれる機会なんて選べなかったんだ。
選べたなら同じ様に生まれていた。同じ時を、二人で並んでゆっくりと重ねていけるように。誰だってそんな筈だ。そう願うものでしょう? だから、こんなふうに互い違いに生まれるしかなかったことは、誰の所為でもない。十手が悪いことなんてない。それは十手自身も、ちゃんと分かっていることの筈なのに。
「……すごく、儘ならないものだね」
十手は恒例の泣き言を、そう〆括ってくれた。僕が変な顔をしどおしで聞いていたのを見て、言い直してくれたんだろう。
今はそれでいい。これでいい。――と、僕は今日もまた一つ、また一先ず、目先の安心を手に入れて息を吐く。
儘ならないと云いながら、良くないことだと立ち留まりながら、それでも何故か、互いに恋の感情のあるのを前提にして語り掛けてくるその目。手の届く範囲に延々と居座り続けるその身体、同じものをこちらと通わせようとはしないくせ、自分の方にそれがあることをは一向誤魔化そうとしたためしのない、その熱。
存在を否定しないのなら認めているのと同じで、恋情の存在を認め合ったらば一体その二人は恋人以外の何者たり得るのだろうか。
これは恋じゃないのだろうか? できあがった恋人同士の人生――以外の何とするのが相応しいと云うのだろうか?
僕には分からない。疾っくに知り得ない。
既に僕の世界は十手と生きることの重力でいっぱいになってしまった。
どう生まれても十手と生きていくことしか有り得ないのなら、どれだけ残りがあるのかも分からない、既に始まってしまった一つの人生を、現にある事実を認めないまま空費していくのなんてほんとうにむなしいことだと思う。分かっている。実際、今、とてもくるしい。なので目先の安堵に甘んじるのは、あってもあと数回……数、回……具体的に回数は決めてはいないけれど。少なくともそう多くはない。あと少し。いつか。いつかは。脱さないと。この薄い砂糖水みたいな微温湯を。
だって、恋でいたいから。恋でいたいから。いたかったんだから。
ずっと。次はそう在ろうって、約束する前からもうずっと。
「……好きなんだけど……」
「……うん。ありがとう。俺も君を愛してる」
そんなふうに、いって、言ってくれるくらいにまでは、この人も思考がばかになって蕩けてきてるから。だから。
あと少し、で。
きっと。