司類

あいに形のなかりせば

「類! ――神代類!」
 なんでもない日だった。
 高校を出て成り行きでルームシェアを始めて司と二人、相変わらず面白く楽しく二年くらい過ごした頃。なんの節目でもない日、帰宅途中だったか買い物の最中だったのか、とにかくなんの変哲もない路上での出来事だった気がするのだ。
「このオレ――天馬司と!! 結婚してくれないだろうか!!」
 突風のように現れた彼が声を張り上げた。
 類の目を真っ直ぐに見て、紫色の多い大振りな花束を差し出した。
 常に類の演出を12000%で超えてくる体力バカが、心持ち息を切らしていたのをやけにはっきりと覚えている。

「――パートナーと、呼べるのはいいな」
「うん?」
 夕食のテーブルを挟んだ向かい側に、類は視線を投げ返した。物を食べながら司はあまり駄弁る方ではない。現に〝いただきます〟から今まで黙々と生姜焼きを口に運んでいたのが、ふと何かを思い出したように止まったところだった。
「……お前との、関係をな?」
「うん」
「問い質されることが偶にあって、」
「……ああ」
 司は付け合わせのキャベツを箸でつっついていた。食べるという行為の婉曲表現ではなく、本当にただただつっつき回していた。
 食事中に駄弁らない程度の人間には似付かわしくない手遊びだった。その目は案の定、脂に濡れた千切り植物ではなく別のところを見ているようだった。類は静かに相槌を打っていた。
「同居人だと言うと〝同性の同居人なんて多少放っておいてもいいだろう〟と返される。友人だと言っても概ね同様の反応を得る。そこで、とても大切で特別な人なんだと付け足す。すると今度は〝付き合ってるのか〟とくる。付き合う、というのはこの場合おそらく〝恋人として〟ということだろう? それは事実でないから否定する。ここまでくると大抵相手の表情が怪訝なものになってくる。胡乱げと言ってもいい。〝じゃあなんなんだ?〟と聞かれる。なぜ?」
 司の箸はキャベツをつっついている。
 類は口を挟まなかった。司はやはり流れるように話を続けていった。
「なんなんだ、ってなんなんだ。類は、類だ。オレにとって類は類でしかない。類以外にあり得ない。友人としても大切だ。仲間としても掛け替えない。好きだとはこれ以上なく思ってるが、恋だとはやはり思えない。尊敬はしているが愛してる。幾ら気の置けない仲であっても、多少放っておいたらいいなんてぜったいに思えないぞ。だからつまり、一言で誰にでも分かるように説明しろだなんて、そんな、そんなのは、どだい無茶な話でな……?」
 そこで漸く、司は目を上げて類を見た。ずっと彼の表情から視線を外さずにいた類に、対等な視線を投げ返した。
 司は類の顔を見て、少し安心したように笑ってくれた。類は特段、表情を作っていたわけではない。彼の剥き出す心を、まるのまま、こちらとて素の気持ちで聴いていたいと思ったのだ。だから類は今、自分の顔が微笑んでいるのか泣いているのか、怒っているのか凪いでいるのかを何も知らなかった。それでも、司はこの表情から、確かに安心を得てくれていた。
「……お前とオレのことを、守るための言葉を手にできてよかった」
 司は、じんわりと深く微笑んだまま、そう言った。
「はなから説明もできないことなのに、説明しようが納得もしてくれない相手に、説明して、説明して、結局胡乱げなまなざしでもって無言の否定を食らわなくてよくなったんだ。そのための方法を得たんだ。勿論こんな五文字ぽっちでは、到底、オレたちの間のいろいろを……オレのお前への想いの全てを……表現することなんてまるでできはしないんだが、そしてそうしなければならんという必然性もないにはないんだが、それでも、その全てをそこに〝籠める〟ことはできる。五文字の裏側にオレたちの全部を隠して、〝守る〟ことが、できるようになったんだ」
 それは先ず、耳許を擽った。それから、長く垂らしている横髪をそっと掻き分けるようにして、耳介をくぐって、耳道を進んで、類の脳みそを揺らしたかと思うとことんと胸の底に落ちた。司の声は。
 類の身体を内側から温めてゆく。とっくに止めていた箸を持つ手が少し震えて、類は一人、指先をきゅっと握り締めた。
「だから――お前と〝パートナー〟になれてよかった、類」

 食卓には再びかちゃかちゃと、控えめな食器の音が響く。
 湯呑に口を付けながらふうと視線を上げる。テーブル横の壁にドライフラワーのブーケが掛かっている。
 全体に紫色で、その中に柔らかい緑色と、元気なピンク色と、紛れて黄色い花が束ねられていた。恋に由来したプロポーズでもないのに、司はあのとき類に花束を買ってきた。これは司の想いだった。それこそが司の想いだった。だから、類は頷いた。
 類も、司とパートナーとして名乗れるようになってよかった。神代類のまま、天馬司のまま、そして自分たちが繋いできたあらゆる細かでめちゃくちゃな軌道や機微をまるでそのままに、一緒にいられる方法を選べてよかった。
「……ふふ」
「んん?」
 無意識に零れた笑い声に、司が反応してこっちを見た。ちょうど豚肉と白ご飯を同時に掻き込んだところで、口をもくもくさせている。かわいいな。自然にそう思う。頬杖を突いて類はその瞳を見詰め返した。それが、弛んでしまって仕方のない口許をさりげなく隠すための仕草だと察したからなのか、食事中に行儀が悪いぞと司が叱ってくることはなかった。
「こちらこそ、僕と結婚してくれてありがとう、司くん」
「……、ああ!」
 司は食事中に駄弁らない。まして口のなかに物が入ったまま喋ることなんてないのだけれども、隠しきれなかった喜色を結局滲むまま滲ませて伝えるに至った類の言葉には、生姜焼きご飯でもぐもぐさせたままのその口から、普段より数段くぐもっているくせ弾けるように明るい返事を寄越したのだ。

タイトルとURLをコピーしました