青柳くんたちのイベントにいつか演出を付ける、と口約束を交わしたのは高校生の頃のことだ。
そのときの類は〝彼らから望まれる演出家〟としての自信を既に持っていたし、その場の勢いで持ち掛けられた将来の話だからといって、社交辞令として頷いたつもりも毛頭なかった。それでも、こうしてその約束が実現した今、自分の中にはあの頃予期しなかった新鮮な感情が吹き荒れている。
Vivid BAD SQUADの面々は、演出家としての神代類の腕を恃んで今回の依頼をしてくれた。それは間違いない。ただ同時に、彼らが演出家としての神代類を知ることになったのは、自分を信頼するまでに至ってくれたのは、彼らと自分とがあの高校時代に縁を繋いだからにほかならなかった。
そのことを思うとき、類の中には、あの頃予期しなかった、ざわざわとした感情が吹き出だす。青柳くん。白石くん。小豆沢くん。そして東雲くん。四人ひとりひとりとの、人と人としての縁が、今に至るまで途切れず良好な形で続いていたことを思うとき。類は今みたいに表情の作り方が上手く分からなくなって、ふと黙ってしまうのだ。
「――さすがだったな、類!」
これを〝喜び〟や〝幸せ〟というのだと自分に根気よく教えてくれたひとが、ぱっとした笑顔をこちらに振り向けた。それは大輪の花火の開くような。一頻りバックステージの四人に労いと称賛とを贈って、それから類の演出を誉めてくれた、その直後に続いた言葉だった。
類は何度その言葉を貰っても嬉しくなる。もとより自分の演出自体に自信はあるし、今回は、ステージ上の四人も彼らを愛する観客たちもみなが、疑う余地もないくらいの笑顔を咲かせてくれていた。それだけで類の仕事が大成功したことの証明にはなるし、力を出し尽くしたと実感している類自身も充分に満足はするのだ。それでも、司からのその言葉はいつも別格だった。
別腹に吸い込まれてゆく甘味のようでもあるし、はたまた類という存在が生きているための最低条件として摂取したい水のようでもあった。司はいつも大抵決まった言葉――〝さすがは類だ!〟――を使って類の仕事を認めるけれど、その一回一回に真摯な想いを籠めて伝えてくれるので、受け取る類も、返す言葉は簡潔ながら、毎回彼と同じだけ真摯な気持ちでもって頷くことができるのだ。
「――どうだ、お前たち? 類についていくのは骨が折れたかもしれんが……きっとそれ以上に、楽しかったんじゃないか?」
司は、また後輩の方に向き直ってそんなふうに問い掛けていた。つい先ほどまで大泣きをしながら、感動した感動したと熱烈な勢いで繰り返して、彼らから照れられたりそして専ら揶揄われたりしていた姿がまるで嘘のようだ。穏やかで、懐の深く思慮深い、それは見守る人の声だった。
しかしそのどちらも嘘ではなくまさしく天馬司であることを、この場にいる誰もが知っている。そんな彼の言葉に明るい声で応じる笑顔が、思い思いに弾ける。司にとって大切な後輩であったり、また幼馴染であったり、ファンであったり、友であったりする彼ら、そして類にとっては今回は仲間であった彼らの、四者四様に輝く笑顔が。
「――そうだろう、そうだろう! 何せ、類は宇宙一の演出家だからな!!」
まるで自分のことのように胸を張る司を見ているのが、なかなか面白くて類は昔から好きだ。
「やはり……類はさすがだな……!」
会場の片付けや機材の撤収は、なぜか司も手伝ってくれた。音響装置はともかく、類の演出に必要だった機械や大道具の扱いは長年のワンダーランズ×ショウタイムでの活動で慣れているからと、彼自ら手伝いを買って出てくれたのだ。
そして、四人と別れ、引き揚げてきた道具たちを類の作業部屋へとぶち込んでいるときに、司が目をきらきらさせながら言ったのが先の言葉だった。未だ興奮冷めやらぬというか、寧ろイベント後のごたごたが漸く落ち着こうとしている今、改めてふつふつと夢のような記憶が蘇ってきたといったところかもしれない。
なんにせよ類は、司から言われたことがやはり素直に嬉しくて、彼と同じくらいに緩みきった気分でこう返した。
「……ふふ、君の演出家として恥ずかしくない働きができたかな?」
軽口を叩きながら、思うさま、表情を崩す。自分の感情に表情を委ねて、浮かぶまま、笑みを浮かべる。イベントをやりきった高揚感と、見も知らない観客たちや歳下の友人たちの笑顔を引き出すことができた満足感、そして、得難い特別な相手と二人きりでいる安心感。それら全てに背中を押されて浮かんでくる感情に、ふわふわと身を任せて揺蕩っている心地だった。
「ああ、勿論! お前の演出はどこに出したって恥ずかしくなどないぞ! ただ、……」
けれど司が不意に、声のトーンを落として表情を変えたのだ。予期していなかった雰囲気に、類は思いきり面食らう。何せ今の自分はすっかり気を緩めきっていたのだ。
だのに、そんな類を置いてけぼりにして司はその先の言葉を紡いでいく。少し困ったように眉を下げて――まるで、それこそ歳下の無邪気な突っ走りをそれとなく窘めようとでもするかのように、柔らかく、穏やかに潜めた声で。
「……オレの、ではなく――今回は、Vivid BAD SQUADの、だろう?」
ふつりと、類の思考はそこで止まった。
「類、――……類」
「…………」
「……お前、……」
――そう。今回の案件にワンダーランズ×ショウタイムは絡んでいない。その依頼が司伝てに来たというわけでもなく、四人が直に、面と向かって、〝神代先輩〟に打診をしてきてくれたのだ。だから、これは類とVivid BAD SQUADとの契約だった。司は何も関係がない。今回の件に関しては間違いなく、司の言ったとおり、類はVivid BAD SQUADのステージの演出家だった。
そうだ。
司の、では、……なくて。
「……っ類。その……今からオレが言うことが、もしも的外れなことであったならすまないが……――」
困惑したように、あるいは気遣うように何度もこちらの名前を呼んでくれていた司が、ふと何かを考え込むように呟いたかと思うと、やがて小さく意を決したように、類の目の奥深くを見据えて向き合ってきた。
類は怯えた。なぜなら類は知らなかったからだ、今、己の内に吹き荒んでいる感情について、何も。これが一体何と呼ばれるべきものなのかも、どうしてこんな嵐が唐突に胸の中を掻き乱し始めたのかも。何も分かっていない、だから、自分の感情を自分で把握するよりも先に、司にその正体を見透かされたくはなかった。
もしも、昔に三人して教えてくれたみたいに、温かい感情だったならいい。けれどもそうではなかったとしたら、剥き出しのこんなものをほかでもない司にまじまじと知ってほしくないと、思う。
「――……お前は間違いなく、最高の演出家だ」
司は、そういうふうに話し始めた。言葉を選びながら慎重に語り掛けてくれているのが分かる、静かな声だった。
「類は誰にだって最高の演出を付けることができるし、そんなお前はどこにいたって、神代類というただ一人の最高の演出家だ。どこで誰としているショーであっても、類が類らしい演出でみんなを笑顔にしているのなら、オレはそのことを座長としても、友人としても、心から誇りに思うぞ。
――まあ、類にとって一番楽しいショーはこのオレと一緒にするショーである、ということは保証するがな! そしてオレにとっても、お前とするショー以上に楽しいショーはない」
かと思えば、急に大仰な身振りで胸を張って高らかに大口を叩く。
一呼吸だけ置いて、また優しくこちらを見詰めてくる司に、類はただ無表情な視線を返すことしかできなかった。
「だから……類。演出家としてのお前は誰のものでもなくていいんだ。……だが……そうだな、……お前が、ほかでもなくオレのものでありたいと、もしもそういうふうに望んでくれているんだとしたら、……演出家としてではなく恋人として、というのではだめか?」
類は黙った。息を、吸って、吐いて、それから一つゆっくりと瞬きをする時間があった。類が黙っていることでこの場に沈黙が満ちたのは、司が、類の返事があるかどうかを待つように台詞に間を設けたからだった。
類が結局何も返せずにいると、司はそっと頷いて、再び自分で口を開いた。
「……お前の演出を求める誰か、お前の演出に応えてくれる誰かがいるのなら、お前にはこれからもいろいろな場所でいろいろなショーをやっていってほしいと思う。だって類の演出はみんなを笑顔にすることができるんだからな。今日、冬弥たちをあんなにも笑顔にしてやれたように……。
だから、お前は、時にはオレの演出家ではなくたってかまわない。だが、その代わり、オレだけの〝恋人〟でいてはくれないだろうか? ――お前が世界中のどこで誰に演出を付けているときであっても、これからも、ずっと」
噛んで含めるような言い方ではあったものの、それが類の機嫌を一時的に慰めるための言葉ではないことは、少なくとも類にとっては明らかだった。
「まあ勿論、役者と演出家としても、オレたち以上に最高のパートナーはいないがな! お前の演出に誰よりも応えられるのはこのオレ、天馬司であり!! そしてこのオレを輝かせることができるのも、類、お前を置いてほかにはいないのだから!」
続けて声高に放たれた言葉の裏にも、やはり含みは見当たらない。
いつでも真っ直ぐで、呆れられるほどに正直な彼の目には、確かに、類を一心に恋うてくれる甘い温もりと仲間に対する燃えるような信頼とが、どちらもうるさいくらいに煌めいていた。
「……ふ、……そっか、……そうだね」
確かに、自分たちにはそんな方法もあったのだった。するりと腑に落ちて、そして類ははにかんだ。
自分は司の、役者としての力をこれ以上ないほど信頼している。だからこそ彼に演出を付けたい。そんな司が自分の力を買ってくれている。自分が彼のパフォーマンスを求めるのと同じ熱量で、彼も自分の演出を求めてくれる、そのことこそが嬉しくて、類にはそれがずっと幸せなのだ。
でも、いつからかきっと、それだけじゃなかった。類が司の演出家でありたい理由はそれだけじゃなかった。
じゃあほかに何があるのかと、具体的に聞かれても答えられないけれど。だって司も類もショーバカで、それぞれの人生にも人格にも、ショーが分かちがたく食い込んでいて、もうとっくに骨の髄と化している〝それ〟と、それではない部分の〝司〟個人や〝類〟個人とを、切り離して考えることなんて全くナンセンスなのだから。
類は睫毛を何度かしばたいた。擽ったいような感覚を無事に胸の外へと逃がすために、身動ぎを誤魔化して小首を傾げる。
切り離せないからといって――いや、寧ろそれをいいことに?――神妙な顔をして持ち掛けてくるような話ではないと思う。それに僕ほどの演出家を独り占めしようともしないなんて悔しい、司くんほどの仲間を相手にまた片想いなんて寂しい、僕はこんなにも君に求められたいのに、君だけの特別にしてほしいのに。そんな想いが全部ぜんぶぐしゃぐしゃに絡まって、飛んで、あとにはすっかり今目の前に差し出されている自分への恋心しか残らなかった。
「……そういうのでも……うん。だめじゃない、かもしれないな」
それは妥協でも、ましてや投げ遣りな相槌でもない。類の本心だった。
勇気を振り絞った言葉に、返事はなかった。その代わりに、お、と何かに気付いたような声が上がる。それから、司の手がそっと伸びてきて、類の左頬に添うように、優しく触れた。
「類、照れたときの表情がだいぶ分かりやすくなってきたな」
揶揄うふうでもなく、寧ろ自分の成長を純粋に喜んでくれているような声色だった。
「……君が、根気よく教えてくれたからね」
それに対して類が、目を細めて少し強気に返したのは、意趣返しのつもりでもなくはない。けれども実際どちらかというと、これは、素直で直截な愛情の吐露に近かった。
「――照れるという感情も、それを表に出すやり方も。司くんが僕に、照れるような機会を幾度となく与えては、甘やかしていると言っていいほどに繰り返し練習させてくれたお陰だよ。だから、僕の表情が豊かになってきているのだとしたら、それは君の執念の賜物と言ってもいいかもしれないね」
「……はは。……そうか」
司は類の頬を親指で撫でながら、小さく笑いを零した。苦笑にも聞こえるそれが、その実その範疇にはないことを、類は過たず知っている。
司は、その実、彼の方こそが照れているみたいに。晩生な桃の実のように柔らかく頬を染めて、いっそあどけないほどにたどたどしく笑ってくれたのだ。
類だけに見せる〝恋人〟の顔で。