変人ワンツーフィニッシュ

ワンツーズ・ショット!〜演出家が演出を付けたくない瞬間〜

「……暑い」
「……なんでそう言いながら寄り掛かってくるんだお前は?」
 司が自分の右肩に胡乱な視線を向けると、そこに頭を乗せた類の表情は無論見えもしなかった。
「君が嫌がらないから、かな」
「……まあお前が嫌でないならな? オレは敢えて拒否をしたいとも思わんが」
「ほらね」
「ほらね、ってなんだ」
 ほらね、の部分だけ類の口調を真似た。それは司が自然にやってしまうことなのだが、団員たちのウケはいつもよかった。これで顰蹙を買うとしたら、寧々の口調を真似たときの寧々本人からしか今のところ実例がない。
「どうせこの部屋にいる限り何をしていても暑いんだ。お前一人くらい引っ付いてようがいなかろうが……それはいかに暑かろうと果たして人前で服を脱いで歩くか? という話に似ていて……」
「……ふうん?」
「なんだ? 揶揄うネタを見付けたとでも言いたげだが、生憎今のオレは本当に暑さでおかしなことを口走っている自覚があるんだぞ。今ならどんな恥ずかしいことでもさらっとお前に伝えてやれる自信があるが、ほかにどういうことがオレの口からはっきりと聞きたい? 類」
 据わっている自覚のある目を向けて淡々と訊くと、類からは無言が返ってきた。戸惑っているのかもしれないし、流石に類の頭も暑さにやられていて、司の長台詞を噛み砕くのに時間を要しているのかもしれなかった。
「……せっかくくっついていることだし、写真でも撮るか? 寧々が喜ぶだろう」
 返事を待つのは早々にやめてしまって、司は自分のスマホへ手を伸ばした。床に直接座り込んだ状態から、同じく床へ放られているスマホに向かって、横向きに寝そべるようにぎゅーっと身体ごと伸ばす。その際、右肩に凭れ掛かっている類の頭がずり落ちてしまわないように、右手で抱き寄せて諸共道連れにする。
 どうにか引き寄せたスマホを左手に、類の身体を右腕に抱えて司はゆっくりと上体を戻した。どうせ写真を撮るのだから、右腕をほどく必要はない。類の肩を抱き込んだまま、空いた手でカメラを立ち上げようとする。
「……ん?」
 と、無言のまま伸びてきた指にその画面を隠されて、司は声を上げた。問い質そうと覗き込む……までもなく、類の表情は司に見えるように晒されていた。その目は司のスマホへと落とされているが、その顔は司と対話をするためにはっきりと、しかし彼自身の意図の演出のためにささやかに、擡げられているのだった。
「……寧々を喜ばせるために、君とくっついているつもりじゃあないんだけれど」
「……む、……」
 さしもの司も、その言葉には咄嗟に喉がつかえた。
 ――そうだった、と思った。オレはまた忘れてしまっていた。だからこそ、こうなると分かっていたからこそ、避けていたのだ。そうだった、思い出した、自分たちがSNSを始めたての頃、互いの存在に触れることも同じ写真に写ることも頑としてしなかった、その理由を。今になって。
 今更忘れて、今更思い出したのだ。
「……寧々のことはね、大切だよ。ショーを作る仲間だし、僕にとっては特別な友人だし、笑わせたいと思う……それに彼女の言ってくれたことも、分かるつもりだ。僕だって今のこの形の、ワンダーランズ×ショウタイムが大好きだからね。なぜそうまでして好きなのか、何がこんなにも特別なのか、そういったことをファンにもきちんと伝えたいという気持ちには寧ろとても共感する。……でもね、人が人に何かを伝達しようとするとき、そこには必ず〝演出〟が、入ってしまうんだよ」
 類は語った。今なら恥ずかしいことを幾らでも直截に語ると言った司の、五倍は語った。
 司は口を閉じていた。それは己を静かに詰問するためのような時間だった。いかに脳味噌が蒸し上がりそうな部屋の中にあっても、ほかならない類の喉から直に搾り出される言葉を、司が理解しない道などあろう筈もなかった。
「たとえどんなにささやかで、一見そうとは分からないものであるとしても。たとえ伝達する側にとって、全くの無意識であったとしても。こう見せたい、こう思われたい、という送り手の意図に添って、そこには必ず演出が施されるものだ。
 ……それはたとえ、〝ありのまま〟を写し取っていると送り手自身が思っていたとしてもね。ほら……たった今の、君みたいに。僕とひっついている写真をあげれば〝寧々が喜ぶから〟って、そういうふうに。僕も誰かを笑顔にするためなら多少身体は張るつもりだし張ってもいるつもりだよ。それでも、ね、……こんなふうに僕が司くんといるのは……友人の君と一緒にいたいからで……誰かに魅せるためではなくて……極端に言うなら、今この場にあっては、僕は僕の所為で笑ってくれるとしたらそれは世界中で司くんただ一人だけでいいと思っているくらいなんだから、そういう、そんな、……、……え、ええと」
 どうやら最後の方でやや我に返ったらしい。滔々と語り続けていた類の声が、急にしどろもどろと動揺を見せ始めた。
 思考の沸いた司が思わずにこにこしてその頭を撫でると、瞬間、類の身体はぴゃっと跳ね上がった。反射的に罪悪感を抱いて、司はたった今類を飛び上がらせた己の右手と、スマホを放り出した左手とを素早くホールドアップする。
「……る、類……」
「……なに」
「あー、……その……」
 とうとう俯いた類がごちんと派手にぶつかってきたので、司は両手を上げたまま甘んじてそれを受け止めた。頭突きを食らった鎖骨がかなり痺れたが、これでは類自身も相当痛かった筈だ。さすってやりたいような気がしたけれど、さっきの今でどうしても憚られて、司は悩んだ挙句、手は触れないまま、類の旋毛の横へ労わるように頬を擦り寄せた。
「……写真を撮るのは止そう。今だけの話ではなくて……お前と二人きり、友人として傍にいるときくらいは、な」
「……分かってくれて、嬉しいよ。司くん」
 安心した、と類は小さく付け足した。もしかすると独り言のつもりか、或いは口には出していないつもりですらあったのかもしれない。それはそんなふうにぽつりとした、ある種あどけないような、繕いのない声音だった。司には、そう聞こえた。
「……はっ!! いや、でもやっぱり!!」
「え?」
 はっとした司が思わず普段どおりの声量を出すと、類が訝しげに顔を上げた。背中を丸めて司の胸許に額を押し付けていた所為で、少しこちらを見上げるような角度になっている。
 汗で潤んだ目を至近距離で食い入るように見詰めながら、司は殆どねだるように訊ねた。
「なあ類、誰にも見せないから、やっぱり写真は撮らないか? だってSNSを始める前は、あいつらともそうだが、二人でもよく撮っていたじゃないか? それこそ誰に見せるでもなかったし、どうということはない場面でばかりシャッターを切ったものだが……楽しかったな。オレは好きだぞ、類と一緒に写真を撮るの。類も、まだオレと同じように思ってくれているのなら……ほかの誰のためでもなく、オレ達自身のためだけに、写真を撮ろうじゃないか。そうだ、撮ろう。撮るぞ。いいな、類?」
 司は口を回すうちになんだか高揚してきて、言い終わったときにはもうスマホを拾ってきていそいそと撮影の準備を始めていた。今度は、類の指に邪魔をされることはなかった。代わりに袖をちょっと引っ張られて、司は再び類の方へ顔を向ける。
「つかさくん」
「……なんだ、類?」
「いいけど、」
 類は司の顔を見ていなかった。ずっと司の手許を見ていて、司はそれを少し不安に思ったのだったが、類の口から続く言葉を聞いて、それがただ照れているためであるか、若しくは照れる必要もないほどに気安く心を寛げているからだと分かって、ひどく安堵したのだ。
「――あとで僕にも送ってくれるかい」
「……ああ! 当然だ! なんならお前のスマホでも撮るか? 幾らでも付き合うぞ!」
「いや。君のだけでいいよ」
 類が目を細める。その横顔にうっすらと汗が伝うのを、司は大切に眺めている。
「今日のところは、ね」
 よりにもよってこんな部屋で台本だの演出だのの話をするのは切り上げて、あとでアイスでも買ってこようと司は決めた。類には当面必要な物だけをこの物置きから持ってこさせて、クーラーの効く方の部屋に移動して、そこでできる作業をすることにする。これは座長の決定だ。類にくっつかれることは司にとって不快ではないけれど、この暑さの所為で類に倒れられでもしたら司は困る。
 だから、今から撮るツーショットは〝このあと流石に耐えかねてクーラーに当たりながら二人でだらだらアイスを食べた〟ときの写真になる。それから、それを左へ一枚分スワイプすれば、きっとアイスを食べながら撮ったその写真が現れるのだ。
 今日のところは、なんて言ったけれど、今日このあとに撮る写真は類のスマホから司のスマホへ個人チャットで送られてくるものになるのかもしれない。分からないけれど、それはどっちだっていいだろう。
「じゃあ、撮るぞ類」
「んん……ん」
「今日は本当にえらくくっついてくるな……まあオレは構わんが」
「だって、司くんが嫌がらないからねえ」
「……あ。ひょっとして嫌がらせのつもりだったのか?」
「そんなつもりではないよ」
「……そ、そうか」
 真意の掴みにくい声で笑った類は、甘えるように司の首許へ頭を擦り付けてきた。その甘えが、揶揄っても怒られないだろうという意味合いでのものなのか、はたまた本当に、身体を触れ合いたいという欲求を司相手には隠さなくていいと分かっていてのものなのか分からない。分からないが、その甘えに対して司が返す反応は、表面的にはどちらにせよ同じでよかった。
 どうせ、自分たちのほかに誰も見ないのだ。司は類に対して、類に分かるかたちで愛情表現を返しさえすればいい。だから当初の予定どおり、司はなんの躊躇いもなく片腕で類の身体をこれでもかと抱き寄せた。汗を吸った服が肌に張り付いて、自分のではない分の体温まで上乗せして直に伝えてくるようだった。本当に暑かった。

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