「でっ……!? デデデ、デート、ではっ、ない、ぞ!」
文の途中でつっかえながらも、司はきっぱりとそう言い切った。
いきなりコメント欄に現れだした単語にびっくりしたのだった。司はただ、このあいだショーの打ち合わせがてら類と二人で一日いっぱい使って遊んできたのだという話を、リスナーたち相手にしていただけだ。
一緒にご飯を食べたり、映画を観たり、水族館に行ったり買い物をしたりして帰ってきた。確かにそんなコースで〝デート〟を行う人々も世にはいるだろう。しかし司は、えむと二人でも、寧々と二人でも、そういうことをする。したことがある。
けれども、それを果たして世間は〝デート〟だなんて気軽に称してきただろうか?
司が、咲希と二人でショッピングをしても、冬弥と二人でゲームセンターに入り浸っても、世間はそれを〝デート〟と称するのだろうか。妹さんとラブラブで、尊い? 兄弟同然の幼馴染くんとイチャついているの、可愛い? ……そう、そんなコメントを書き込むリスナーたちに、あくまでも悪意はない。それどころかそこにあるのは純然たる〝好意〟でしかないのだ。
「――……すまない」
それを分かっていて。司は静かに口を開いた。
「これは、――オレと類がするのは、〝デート〟では、ないんだ」
リスナーたちに、ショーキャスト天馬司のことを好きであればこそこの個人配信を聴いてくれているファンたちに、他意のないことを分かっていて。それでも敢えて司はそれを口にした。これを今、言うことを選んだ。司は皆を笑顔にしたい。誰かの我慢の上に成り立つような、それはそういうものでは決してない。
ほんとうの、本当の笑顔を。今これを聴いているリスナーたちにも、聴いていないファンたちにも、ファンではない偶然の出会いにも、もしかすると一生司たちのショーを見ることはないかもしれない人たちにも。司自身にも、ワンダーランズ×ショウタイムの仲間たちにも、そして勿論、類にも。
心を傷めながら、本心を殺しながら、無理に作り上げた笑顔の仮面を被って過ごすのではなくて。心から、誰もに安心して、そう、安らかな気持ちでいてほしいのだ。希望を持って、自分自身の道に絶望してしまうことなく、今日を生きていってほしい。
ほんの少しの希望でいい。一つ一つは小さくとも構わない。そんな希望を、これから少しずつ積み重ねていける、そのための些細なきっかけにさえなれればいいのだ。畢竟、世界のスターとて。幾ら、宇宙最高・完全無敵のワンダーランズ×ショウタイムとて。誰かの人生はその人自身のものだ。そこに途方に暮れた誰かがいるのなら……ワンダーランズ×ショウタイムは、その人が自分自身の道に辿り着けるようになるまで、束の間寄り添っていられたならいい。
そうして、寄る辺ない不安に揺れていた誰かの心が少しでも、安らぎを覚えてくれたのならば、そのときその顔に浮かんだ表情をこそ自分たちは〝笑顔〟と呼ぼう。
――なればこそ。
「オレは、な? いわゆる恋愛というものについて、正直なところよく分からない。だが……〝デート〟というものは、そういう意味において特別な相手と、二人で、真剣に大切に行うものなんじゃないかと思っているんだ」
司は静かに話すことを選んだ。本当は、自分と類がオフで連んでいることを配信やSNSで漏らす度に、一部のファンからデートだのデキてるだのもう結婚しろだのと囁かれていることを、ずっと知っていた。
「勿論、もっと気軽な気持ちでデートを楽しむ人がいることは知っているし、真剣なデートを、たった一人ではなく複数の相手とすることを望む人がいるのも知っている。だから、これは本当にオレ個人の感覚の話になるのだが……うむ、そうか、ならばさっきの発言は〝そういうものだと思う〟ではなくて〝オレ自身はそうしたいと思っている〟と言った方がよかったのかもしれないな……」
出さんとする言葉を選び、また、出してしまった言葉を省みながら、司はコメント欄をちらっと見た。
ラグがややある。しかしそれも通常の範囲内のことだった。少し待っていると、今の司の言葉を聞き届けたと思われるコメント欄は、すう、と静まり返っていった。
「……オレはな。その……う、ううむ……やはり個人的な事情を濁して言おうとすると難しいな……。その、だな……! ええい、名前だけは伏せてもう言ってしまうが! 早い話、オレは、天馬司は――そういう人、つまりオレの思う〝デート〟をするならば相手は絶対にこいつしかいないという人間を、既に心に決めていてだな!! だ、だから!! 気軽に第三者からデートだのなんだのと言われると……その……――」
最初静かに話していたのだったが、そこはやはり天馬司、思い耽るにつれ切実な声音はデシベルを上げてゆき、途中一度音割れすらも起こしかけた。
そんな声がふと、また繊細な響きに着地する。
ネット回線に確かに乗ったそれは、誰かたちに、それぞれに、一体どんなふうに届いただろう。
「――分かって、もらえるだろうか……? ……苦しいんだ」
気付くと司は随分、長いことこの話をしてしまっていた。一瞬静まり返ったかのように見えていたコメント欄には、『話してくれてありがとう』『了解』という簡潔な、しかし深いあたたかさを持った言葉が並んで途切れていなかった。
中には、数としては多くないながら〝こういう話をしてくれてほっとした〟というふうなコメントもあったのを、司の目は確かに見付けていた。ニュアンスから読み取るに、それらが司に伝えんとしていたのは〝自分もまた、あなたと同じような苦しさを抱えていたのだ〟ということだった。〝その苦しさを、誰かが言葉にしてくれて〟――だから、ほっとしたのだと。
その、笑顔を、自分が引き出せてよかったと、司は自分の方こそ床に崩れ落ちてしまいそうなほどに安堵した。誇らしかった。類にも、自分を信じて支えてきてくれた誰にも、胸を張れるとそう思えた。
「……もしも。オレに〝デートをしたいと思うたった一人の相手〟がいなかったとしても、オレと類が本当に、……ほ、ほんと、に……ええ……っと……そっ、その、……っこ、こ、こここ恋びちょだったとしてもだにゃっ……っ!? かっ、噛んだ!!」
司は真摯に自分と向き合ってくれるファンの存在を本当にありがたいと思った。お陰で、知らず少し緊張していたらしい心が穏やかに落ち着いてきていた。しかしそれも束の間の話だった。再び口を開いた司はブラフを掛けようとして盛大に自滅した。
秘め続けた片恋の相手と、己とが、もしも恋人として交際していたらという仮定の話を喋ろうとして、うっかり想像力を働かせすぎてパンクした。この時点でまだ取り返しがつく誤魔化せると考えているのは司だけだった。多くのリスナーは今まさに彼の恋心を察した。察したうえで、流石にさっきの今なこともあり、誰も彼もがそっと気付かぬ振りを決め込んでくれているのだった。
ついでに言うと、自室で作業の手を止めてこっそり配信を聴いていた神代類には、自分が長らく天馬司に対して恋愛感情を向けているという自覚があった。彼はこのときの司の不可解なまでの動揺について、片想いを拗らせた自分が都合よく解釈したがっているのを制止したいあまりに、自分で自分の身体を今まさに殴り付けようとしていた。
類が手近にあったレンチを一つ左手で取り上げたとき、右手側で、ぽこん♪と電子音が弾けた。びくっと飛び上がりながら音の出どころを振り返ると、スマホの画面が点灯していた。メッセージの受信通知だった。
類はのちのち、あのときの通知音で気が逸れたお陰で、自分は自らのこめかみに鈍器を振り下ろさずに済んだのだなあと思い返すことになる。それはまだ、現在進行形で取り乱している類には知る由もないことなのではあるが。
『類!!つかさせんぱいの配信きいてる!!??まだだったら今からでもいいから聞いて!!!はやく!!!!』
らしくない感嘆符が無闇に連打された個人チャット画面を、茫然と見詰める。寄る辺なく立ち尽くしている類の目の前で、また一つ、ぽこん♪と瑞希からのメッセージが増えた。
『キミは幸せになれる!!!!』
類の恋心を唯一知る昔馴染に言われるまでもなく、着けっぱなしのヘッドホンからは依然、焦がれた声が流れ続けている。