ALT機能というものを知らなかった。
画像のALT属性のことも知らなくて、Twitterに画像説明機能が実装されていることも知らなかった。いや後者に関しては知っていたのかもしれない。過去のどこかの時点で情報を得はしたものの、興味がなくてすぐに忘れてしまったとか、〝自分には関係ない〟情報だと思ってろくに読み込もうとしなかったのかもしれない。
そんな人間がなんでひと月前に突然それを認識したかというと、とあるRTを見かけたからだ。
そのツイートは、最近ALT機能を本来の用途から外れた形で使う人が多くて、看過できないのでということで、注意喚起をしていた。私はびっくりした。毎日使ってるTwitterにそんな機能があることも知らなかったし、画像の情報を文字で伝える手段があるんだ、ということすら目から鱗だったから。それから少し自分で調べた。ALT機能は視覚にハンデを持つ人や、通信状態のよくない環境から利用している人などが、画像で示されている情報を言葉を通して得るためのものだと分かった。
先のツイートの主さんは、ALT機能をおもに視覚障碍者のためのツールととらえ、その目的が達成されにくくなるような使い方がTwitter上に氾濫することに対してはっきりと、〝それはだめだ〟という考えを示していらした。
特に、〝ALTには画像の説明が書かれている、という共通認識を破壊することで、ALT機能そのものに対する信頼を失わせてしまうからだめなのだ〟というふうな説明に私はとても納得した。いろいろな人のALTにまつわる言葉を見て回ったけれど、この方が述べていた理屈は、とても大切にしなければならない認識の仕方なのではないかと思った。
私はこの方のツイートをきっかけにALT機能を知り、そして同時に、そのALT機能がよくない使い方をされているらしいことをも知った。
それで私はひやっとなったのだ。
「俺これひょっとしてやらかしてない?」
とすぐに思い当たった。それは、ALTのよくない使い方が、二次創作界隈で流行っている、とくだんのツイートが言及していたお陰かもしれない。だからこそ、すぐに〝自分事〟として情報全体を受け取るスイッチが入ったのかもしれない。
私が思い起こしたのは、数日前に自分が投稿した二次創作テキストのことだ。プロセカ二次創作の『未来へ続け! キラキラ☆わんだほいアーカイブ』。
これは、文字を使っているのだけど小説ではなくて、強いて言うならちゃんねる風小説とか、LINE風小説に近い。登場人物たちのTwitter上でのやりとりとか、それらがTogetterにまとめられている様子とかを、妄想して文字にしたものだ。
その創作の中で、私は〝画像〟を表現したかった。同時に、その画像を見た作中世界の人々が、どのような思いでそれを受け止めたのかということをも表現したかった。それは、小説であれば当然に可能だったことだろう。けれど先ほども言ったように、私のその創作は通常の〝小説〟ではなかった。
つまるところ、ALT機能を知った私は、数日前の自分の創作についてこう思ったのだ。
「この中で〝画像〟を表現した部分、もしかして〝ALT機能のよくない使い方〟を彷彿とさせる形になってるんじゃないか?」
と。
それを書いたときの私は、ALT機能の存在を、ましてそれがよくない使い方をされて問題になっているということを知らなかった。また、よくない使い方をされている〝らしい〟ということは様々な人のツイートで知ることができても、実際に〝よくない使い方〟をしているツイートについては、検索して探し出すことが難しかったので、まだ殆ど確認できていなかった。いや、確認するのが怖かったというのもあったのかもしれない。もしも、実際のツイートが、本当に私が創作したものとそっくりだったとしたら。真正面から受け止めたくないから、今はまだ見ずにいたい、という気持ちは確かにあったと思う。
ともかく、そういう経緯であったので、私があの創作をする上でALT機能の〝面白い〟使い方を実際参考にしたということはないし、また、少なくともその時点において、この創作と実際の〝ALTのよくない使用例〟とを比較して似ているとか似ていないとか判断することもできなかった。――だから、何も〝ひやっと〟することなんかない。〝やらかした〟とは言わない。そう考えることも、しようとすればできる。けど実際そうしようとするかっていうと、しようとしたらいけない。
先ず、ALT機能を今までずっと知らなかったこと自体がそもそもまずい。Twitterにこの機能が実装されたのは、どうやら2020年のこと。ツイ歴十余年の自分が、実装の折、関連情報に本当に全く少しも触れていなかったとは思えない。触れたけれど、認識しなかったのだ。おそらくは。〝自分には関係ない情報〟だと思って。
それに、私自身がALT機能を巡る状況を〝知らなかった〟かどうかということは、私の創作を読む人にとっては全く知ったこっちゃないことだ。既にALTの〝本来の用途でない使い方〟を知っている人からすれば、その使い方を〝知らない〟私が書いた創作だろうと、ああこれは〝そういう使い方〟を意識した表現なんだな、と読めてしまったのじゃないかと思う。ならばそれは、私が、ALTの〝そういう使い方〟を肯定して自分の表現に取り入れたということと何も変わらない。私自身にとってはまあ確かにそのつもりはなかったのだろうけれども、他者からすれば何も変わらない。社会の中にある事実としては、私の表現は確かにそれを〝肯定した〟一例でしかない。
だから私は私自身のあの創作のあの部分を、あれはだめだった、と思う。思うけれど、掲載ページ自体を削除していないのは、単に〝なかったこと〟にするのは違うなと思ったから。あれはそういう意図ではなかったんだという弁明もしたかった。意図がなくてもできてしまうのが差別やハラスメントだけれど。それから、ちゃんと話して、私はあれをきちんと意識的に越えて舵を切るということを確かめたくもあった。私一人の中でも、また、あの創作を読んでくださった人に向けても。
そんなふうに思ったから、何かをずっと言いたかったのだけれど、こんなに時間が空いてしまった。すみませんでした。
言わなければ、と思った動機は、ALT機能自体を知ったあのツイートのほかに実はもう一つある。
ファミリーマートの公式アカウントのツイートだ。
現在、元のツイート自体は削除されてしまっているようだけれど、「ファミマ からあげ ALT」とかでググるとアーカイブを引用してる記事が数件見つかった。
それは、こんな感じのツイートだった。――自社商品のからあげの写真が四枚貼ってある。その全てに長文の代替テキストが記述されている。しかし、その内容は画像の説明ではなく、明らかな宣伝文句。最後の一枚に至ってはもはや文章ではなく、「食べてください」という一言が文字数制限いっぱいに羅列されているのみ。
そのツイートは、私がALT機能を知った数日後にTLに回ってきた。ALT機能の使われ方を厳しく批判する目的で引用RTされていたのだ。
あのファミマの実例を見たから、私はやっぱり自分の創作とも向き合わざるを得なくなった。流行を認識した上で、同調して面白がって乗っかった一例。流行を知らなかったけれど、〝流行〟として誤用されるツールの存在自体をも知らぬまま図らずも乗っかる形になった一例。同じ一例だ。代替テキストから情報を得る人にとって、自分を無視する人間の一例であるだけだし、代替テキストよりも画像を視認することで情報を得る人にとって、代替テキストはおもちゃにしていいよねっていう目配せの一例になっただけだ。私のあれは。
現実にALT機能が代替テキストを記述するためのものとして個々人にしっかりと運用されていればよかった。私があの創作のあの箇所を気にする必要は、もしも現実がそうであったならば、勿論なかった。けれど実際はそうでない。現実に、本来の使用目的で利用しようとする人の弊害になるような使い方を、されているケースが数多くある。実際にそのことが問題とされている。だから、私が創作に使った表現を私は気にする必要がある。気にしていかなければいけない。あれはだめだった。こういうのはだめだという前提が自分の中にあったなら、もっと違う表現方法が幾らでも考えられた筈だ。
今回のことでALT機能について認識をしたので、自分でも画像説明を付けてみている。
私がTwitterに投稿する画像といったら、ゲーム画面のスクショとか、新書ページメーカーさんで画像化したSSくらいだけれど。使い方を学んだり考えたりするためにとにかく先ずはやっている。いい書き方があったら教えてほしいんだ。
今回は取り敢えずこの辺りで終わりです。
認識が足らず、すみませんでした。
ここまで読んでくださってありがとうございました。くだんの二次創作を読んでくだった方もおられましたら、ありがとうございました。