司といると、類はなんとなく身を屈めてしまうことがある。
「……なんだ、キスしていいのか?」
肩が触れる距離で顔を覗き込むと、そんなふうに言われることがある。台詞こそ冗談めかしたように見えなくもないけれど、司の目はいつも真剣で、それでいて相手に伺いを立てたに相応しいような、不安に揺れている。
だから類は、
「してもらえたら、嬉しいな」
と安心して答える。
司は大きな目を、ちょっと見開いて、揺れていた視線を類の目とぴったり合わせてくる。「……本当に、するぞ?」再度確かめてくる司はこのとき、きゅっと痛ましげに眉を顰めている。
ずっと前にその理由を訊ねたら、『今のオレは類のどんな表情も仕草も、全部自分にとって都合のいいように捉えかねないから』と言っていた。こんなふうに痛ましい顔をしていた。類はそれ以来、彼に言葉で伝えることを、少しだけ怖がらなくなった。
「……うん。今、司くんとキス、したいから」
してよ、と囁いた声には、照れくささのあまり笑いが溶けた。声を押し出す勢いに乗せて瞼を下ろす。頬に触れた指先が、そうっと滑って、やがて温かな手のひらが両頬を包み込んだ。
「…………愛してる、類」
くちびるに、吐息とともに言葉、毎回言わなきゃいけないとでも思っているのかな、律儀なのか何なのか、と茶化すように考えずにはいられないほど、類も毎回同じだけひどく照れているのだ。一瞬後、すかさず肌が触れる。やわらかくて驚くほど熱い。耳朶まで届いた指先が、少し戸惑うように震えて、彷徨っていて、類は泣きたいような気持ちで黙って固まっていた。
触れる、だけの、それが、終わ、る、司の気配が少しだけ遠退いていく。おずおずと瞼を上げたら、まだピントがぼやけるほどの距離にいた司が、どうやら類の方にじっと視線を投げていた。
「……るい。かわいい。綺麗だ。好きだ……」
類は思わず身を竦めた。とろけた視線が、焦げ付きかけたカラメルソースみたいに類のまなざしと絡み付く。後退りたくなって、けれど身体が動かない。それに、動けなくてよかった、とも類は思ってしまった。
司の指が微かに、類の横髪を、撫でる。すきだ、ともう一度噛み締めるような声を聞かされて、類は堪らず眉を下げてしまった。
「……あの、」
司の所為で困っているとは思わせたくないから、類は自分の表情を説明する必要があった。
「司くんに、……好きと言ってもらえるのは本当に嬉しくて、ただ、僕は、君が言ってくれるみたいな魅力を、自分が持っているとはどうしても、思えなくて……」
しどろもどろになる類を、変わらず見詰めたまま、司はじっと聞いていた。
そして。
「大丈夫だ」
類は息を呑んだ。いつの間にか司の手が、類の手を胸の前で握り締めている。頬から温もりが離れていたことにも気が付かなかった。
司の言葉の意味を、理解するところまで頭が追いついていかない。表情から読み取ろうにも、目を合わせるや、やわらかな光彩で満ちた笑顔にこちらの体温ばかりが上がって本当に涙まで零れてしまいそうだった。
そんな類の表情の所以を、果たして、司は一方的に分かっているのだろうか。
「――オレが知っているから、大丈夫だ。ゆっくりでいい。類自身にも、きっと分かる」
そう言った司の声は、あまりにも自信に溢れていた。
さっきまで不安と躊躇いに揺れていた瞳が、どうして今、類のことを言う段になって、めきめきと煌めくような力強さを取り戻しているのか。
類はほんとうに意味が分からないと思ったけれど、でも、そんなところがとても司らしいとは思って、だから、「……本当に時間がかかると思うよ」と答えた。今の類は涙が零れそうなほど司にどきどきしていたから、直截な言い方で〝好きだよ〟なんてとてもじゃないけれど伝えられなかったのだ。
でも、それでよかった。司は司だった。
「ああ、一生かけてじっくり付き合ってやる!」
ひたいに向かって類は頭突きをした。ぶつかって痛みを覚える前からとっくに湿っていた目許に、司は笑いながら、かわいくてたくさんの金平糖みたいなキスをくれた。
1/n回目
