司類

なんてことない

「あれ……?」
 散歩コースの公園で、穂波はうずくまる人影を見掛けた。
 手にしたリードを自分の身体に軽く引き付けながらそちらへ向かう。丸められた背中の数歩傍まで近付いたところで、そっと声を掛けた。
「神代さん……?」
「……おや、望月くん。こんにちは」
 しばおくんもこんにちは。一人と一匹に順番に視線を向けて微笑んだのは、やっぱり知り合いの顔だった。植え込みに向かってしゃがみ込んでいたものだから、もしかして体調でも優れないのかと思ったけれど、どうやらそれについては杞憂そうで穂波は少し安心する。
「こんにちは。あの……もしかして、何かお困りですか? わたしにできそうなことがあれば、お手伝いしましょうか……?」
「? ――ああ!」
 神代が合点した声を上げるまでに一瞬、間があったので、穂波はもしかして失礼な口出しをしてしまったのかと内心焦った。それが表情に出てしまっていたからだろうか、神代は穂波の顔を見上げる姿勢のまま、きゅっと申し訳なさそうに眉を下げた。
「それで声を掛けに来てくれたのか。わざわざすまなかったね、ありがとう」
 でも特に困っているわけではないから大丈夫だよ。そう言う神代は、しかししゃがみ込んだ体勢から動かずにいる。穂波が思わず首を傾げてしまうと、神代はふと真面目そうな顔をした。
「……望月くん。君は、虫は得意な方かい?」
「え。……虫、ですか?」
「そう」
 虫だよ、と頷く神代の目は真っ直ぐだ。
「えと、……得意という、ほどではないですね……」
「そうか……」
 なら見せるのはやめておくとしよう、と神代が呟く。少し視線を落としたのは、気落ちしたゆえの表情というよりも……彼の身体が向き合っている、植え込みの中、地面の辺り、を気にした行動、だろうか。「おっと、君のご家族に心配を掛けてしまうよ」と、横合いから首を突っ込もうとしたしばおを優しく制した。
「虫……を、採ってらしたんですか?」
「うーん、採ってはいないんだ。観察していただけさ」
 答えながら、神代が漸く立ち上がる。その際、こちらと少し距離を取るようにしてくれたのは、突然の動きにしばおがびっくりしないよう気遣ってくれたのかもしれない。
「……ひょっとして、虫のロボットも作られているとか?」
 先日紹介してもらった、彼が作ったという犬型ロボットの存在から穂波はそう推察する。けれど神代による答え合わせの結果は、当たらずとも遠からずということだった。
「そのものを作る予定は今のところないのだけれど、そうだね、何せ彼らの動きや身体の造りはいろいろな機械に応用できるものだから……そのつもりで観察していたというのもあるけれど」
 正直なところ今日のは、単純に好きで見ていただけ、かな。神代はちょっと、お茶目っぽく困ったように笑って見せた。
「……僕の個人的な趣味に過ぎないということもあるし、こればっかりは、司くんを付き合わせるわけにもいかなくてね……」
 あ、と穂波は思い当たる。自分たちが直接そういう姿を見る機会はなかったけれど、話には確かに、聞いたことがあるような気がしたのだ。
「そっか。司さん、虫が苦手なんでしたっけ」
「おや、やっぱり君なら知っていたか」
「あ、いえ……わたしは咲希ちゃんから、そういう話を聞いたことがあるだけなんですけどね」
 しばおがその場に伏せきって動かなくなってしまったので、二人はそのまま立ち話をした。いや、神代が気遣ってそれとなく話を振り続けてくれているのだ。何度目かのタイミングで、穂波は申し訳なくなって切り出した。
「……そういえば、虫を観察されていた途中だったんですよね。もしよければなんですけど、わたしにもそのお話を聞かせてもらえませんか?」
 神代はきょとんと目を丸くした後、くしゅりと眉を下げて笑んだ。
「でも、君は虫が得意じゃないんだろう? ……観察を中断したことは気にしないでくれ。元はといえば、望月くんは座り込んでいる僕を心配して来てくれたのだし――どちらかというと君たちの散歩を中断させてしまったのは僕の方だ」
 すまないね。そして、それにも関わらずこちらのことを気遣ってくれてありがとう。
「あ……」
 穂波は首を振った。中断することになったのは事実かもしれないけれど、それはただの事実であって、神代が気に病む必要はない。寧ろ、しばおの気分を上手く乗せて散歩に戻ることができないのは自分の力不足なので、こうして神代を付き合わせてしまって申し訳なく思っている。そんなことを穂波は伝えた。
「それと……虫のことは、話に聞くのもむつかしいほど苦手なわけではないんです」
 確かに、それこそ神代のようにすすんで観察するほど好ましく思う気持ちを持っているかと言われると、多少頷き難い。けれど実際、穂波はある種の虫に接する機会自体は多い生活を送っているので、そこそこの耐性程度なら身に付いているのだ。
「――といっても、基本的に〝対処〟することが前提の考え方になってしまっているわたしが、純粋に好きだと思って虫に接している神代さんにお話を伺おうとするのは、失礼なことなのかもしれないんですけど……」
 ということに、穂波は言いながら気が付いた。どうしよう、と遅まきながら慌てていると、けれど対する神代は、ふと穏やかな笑みを見せた。
「……ありがとう。いや、知ろうとしてくれるのは素晴らしいことだよ。人間が虫を、場合に応じて排除しようとするにしろできる範囲で共存を目指すにしろ、相手を知らないことには的を射た方策も立てられないのだからね」
 少し神代は考えて、それでも「やっぱり、話を聞いてもらうのは遠慮しておくよ」と柔らかい声で言った。
「……実は、僕はどうも好きなことを語り始めるとすごく、……すごく、その、勢いがつきすぎるらしくて……。だから、自分たち以外にそういう話をするのはやめておけと、日頃から寧々に釘を刺されているんだ」
「え……草薙さんから……?」
 よく分からないけれど、そういうことなら分かりましたと穂波はおろおろ頷いた。神代もなんだか神妙な面持ちで頷き返した。
「……ところで、さっき、望月くんは虫に対処する機会が多いと言っていたけれど……」
「……? ……あ!」
 なんだか見たような遣り取りだ、そう穂波が気付いたのは、自分が一瞬間を空けたのちに合点のいった声を上げたときだった。心配そうな視線を真っ直ぐ向けてくる神代を見上げて、穂波は赤くなった顔でわたわたと否定した。
「す、すみません……! 特別、虫害に困ってるっていうわけじゃないんです。心配していただいてありがとうございます」
「そうなのかい? いや、困っていないのならそれが何よりだからね。よかったよ」
「はい。さっきのは、ただ……野菜を育てたり調理したり、家や庭のお掃除をしたりしていると、虫ってどうしても付き合う必要が出てくるので……それで」
「……やさい、……そうじ……」
 神代がやにわに拙いニュアンスで呟くので、ああ文脈から飛躍した単語を出してしまったのは不親切だったと、穂波は補足した。
「あっ……はい。わたし、家庭菜園が趣味で。あと、お料理やお掃除なんかの家事全般も好きなので、普段からよくやるんです。趣味が高じて、家事代行のアルバイトもしているくらいなんですよ」
「…………すごいな」
 神代が静かに言う。褒められている……のだろうか? しかし、単純な相槌にしては妙にしみじみしているというか、なんだか神代自身が何事かに追い詰められているかのような、不思議な声色だ。
 穂波の困惑したまなざしを受けながら、神代はその緊迫感のまま続ける。
「君は、僕には絶対にできないことをやってのけてしまうのだなと思って。というのも僕にとって――野菜、も、掃除も、人生における苦手なことトップ2と言っても過言ではないから」
「そ、そうなん、ですね……?」
 そんな大変なことを、自分が打ち明けてもらってしまっていいのだろうか。それに、苦手なことが〝野菜〟って? どういう意味なんだろう……。神代の言い方に少し引っ掛かりはしたものの、あちらから言わない以上は聞き出すことも憚られて、穂波はもこもこと黙っていた。
 こちらが受け答えを言い淀む間に、神代は滔々と遠い目で続ける。
「そうだよね。本来、そういうことは従事する人に対して相応の対価が支払われるべきれっきとした労働なんだよね。まして自分が放り出したその手の仕事を、幼馴染や恋人の好意に甘えてなんとなく任せきりにし続けてそのうえなんの見返りも差し出さないなんてやっぱりあまりにもまずいかもしれない」
「あ、あの……?」
 穂波はなんとなく、なんとなくだけれど、さっき彼が言っていた〝勢いがつきすぎる〟の片鱗を垣間見たような気がした。
「あ……ごめんね。その、僕はさっきも言ったとおり、掃除や片付けが本当にできなくて……自分ではそれを気にしていないのだけれど、親しい人たちが見かねて、部屋に来る度にちょっとずつ片付けてくれたりするんだ。とはいえ僕はそれを維持できないから、次に彼らが来る頃には、また部屋は元の様子に戻ってしまうんだけれどね」
 なるほど、と穂波は単純に思う。〝戻してしまう〟ではなく〝戻ってしまう〟と言っている辺りから、神代自身が〝本当にできない〟と言うその加減をなんとなく推察する。そしてその口振りから、彼自身は本当に片付けに頓着していないであろうことも。加えて、穂波自身がこれまでに神代と接してきた経験から、彼が今、親しい二人に対して真摯に引け目を感じているであろうことも。
 穂波は、ううんと小さく首を捻った。
「草薙さんも司さんも、お掃除のお手伝いをすることを、神代さん自身が心配してらっしゃるふうには捉えていないんじゃないでしょうか」
 神代が目を瞠る。ステージ上以外で、彼の表情がこんなに大きく動くのを見たのは初めてなような気がした。
「信頼関係のある相手に頼ること自体は、寧ろ正しいことだと思いますし……もし仮に、本当にその甘えが一方的で行き過ぎたものになってしまっていたんだとしても――そのことに自分が気付けたなら、そこからはもう、相手に思い遣りを返していくことができますよね」
 穂波は彼らではない、ので、彼らの関係やその中で起こったことを身をもっては知り得ない。だからここまでは、推察と、一般論に近いような客観的意見を述べたまでだ。そしてここからが、穂波の知り得ること、穂波自身の経験を多分に織り込んだ感想だった。
「それに、司さんは、人のことをとってもよく見てくださってる方です。優しいけど、ただなんでも受け入れるっていうわけじゃなくて、言うべきことはきちんと言ってくれる公正な人でもありますよね。だから、もしも神代さんがご自身で危惧されるとおり、お二人に対して危うい頼り方をしていたのだとしたら――自分だけでなく、草薙さんがそんなふうに軽んじられていることを察知していたとしたら、司さんは、たとえ神代さん相手であってもはっきり抗議しているんじゃないでしょうか」
 穂波は自分の発言に自信というか、間違ったことを言ってはいないという自負を、責任感と併せて抱いていた。
 それに、後半で述べたのは主に司の話だ。だから、神代なんかは寧ろ共感してくれるだろうと思っていたのだけれど。
「……?」
 穂波の予測に反して、見上げた顔は意表を突かれたような――戸惑った表情を浮かべていた。
「……、……ど……」
「……え?」
「どうして、その……〝司くんの名前が〟出てきたのかな……」
 僕は、〝恋人〟としか言わなかったと思うのだけれど。
「えっ……、? ……えっ!?」
 穂波の上擦った声に反応してか、伏せていたしばおが急に起き上がってなぜか神代の方を見上げた。「……もしよければ、撫でても構わないかい」必死にしばおの突進を食い止めている穂波を、既に中腰となった姿勢から見上げて神代が飄然と笑む。いろいろな申し訳なさでぐちゃぐちゃになった頭を、穂波がどうにか頷かせると、神代はゆっくりとかがみ込んで、しばおの顎や首を撫で始めた。
 既になんでもないような顔をしている神代に、しかし甘えてしまうわけにはいかない。穂波はとにかく声を絞り出した。
「す、……す、すみません、咲希ちゃんが『嬉しいニュースがあるんだ』って教えてくれたので、てっきりわたしたちが聞いてもいいものだと思ってしまっていて……本当にごめんなさい、人のプライベートなことなのだから、わたしも受け身で聞くばかりではなくてもっと気を付けるべきでした。軽率でした……っ」
 穂波はリードを持ったまま、自分もその場に膝をついた。神代がそっと促すように手を離すと、しばおが傍に戻ってくる。穂波の顔をちらっと見て、なぜかまたぺたんと伏せって動かなくなってしまう。けれどしばおが落ち着いてこの場に留まっていてくれることが、今の穂波にはありがたかった。
「――本当に、勝手に事情を聞いてしまってすみません。た、ただ、わたしは誰にも話していませんし、一歌ちゃんも志歩ちゃんも言いふらしたりはしないと思いますし、それに、それにもし――」
 アウティング。その言葉が浮かんで、穂波は怖くなっていた。でも、それによって本当に怖い思いをする人は誰なのか。自分じゃない。それは絶対に自分じゃない。一番怖い目に遭い得るのは、された人だ。穂波じゃなくて、神代だ。
「――もし、他の誰かに神代さんたちが何か言われたり、されたりしそうになることがあったとしたら、わ、わたし……わたしが、支えます!」
 穂波は声を張り上げていた。大きなことを、震えそうになる声で言い張っていた。
「それで許されるとは思いませんし、わたしに何ができるんだって言われたら、今はまだ何も分かりません。でも、……でも、わたしは絶対に、どんなときでも全力で神代さんたちの味方でいます! 守ります! 手伝います……!!」
 はあ、と息継ぎをしたその深さで、自分がどれだけ力んでいたかに気付く。神代の顔を見つめ続けていることが急に怖ろしくなり始めたとき、彼の目が、ふっと揺れた。
 それはまるで、……狼狽えているかのような。
「ええと…………いや、ごめんよ、よく考えたらこの件について誰にも口止めなんてしていなかった」
 無論、穂波は咄嗟にはそれを信じない。
 誰だってこの場面では、彼が気遣って嘘を吐いてくれたのだと考える。けれど話をするうち、神代の表情がどんどん弱ったようにほつれていって、そのうえまるで自身の恥を告白しているかのように赤らんでさえいくのを見て穂波は、ひょっとしたら、と思い始めた。
「というよりも、司くんに至っては放っておいたら全世界に向けて宣伝して回りそうな勢いだったんだ。それに僕の方は僕の方で、司くんがオープンにして構わないと考えてるなら寧ろ望むところ、最初から何があっても彼と一緒にやっていく心算だったから、少し落ち着いてほしくはあったけれどそこまで浮かれてくれていること自体は満更でもなくて。だ、だから、君が僕らのことを知っているのは全く何も問題がなくて、そもそも司くんは真っ先に咲希くんへ報告したと嬉しそうに言っていたし、そうなると仲の良い望月くんたちに伝わるのは当然おかしな話ではなくて、寧ろ想定して然るべき事態で、……なんで僕はそんなことにも思い至らなかったんだろうか……」
 僕も浮かれていたのかな、と神代は頭を抱えてしまう。
「本当に……すまなかったね。望月くんは全く何も悪くなんてなかったのに、その、そこまで言わせてしまって……」
「いっ……いえ!! 神代さんが謝ることじゃないです、寧ろ、わたしが早とちりしてしまって……!」
 二人は恐縮し合ってそのうちどちらかが地面にめり込んでしまいそうだったので、ぎこちないながらどちらからともなく立ち上がった。しばおはそんな二人を一顧だにせず、微動だにしなかった。
 穂波はなおも頭を下げつつ、けれど同時に胸を撫で下ろしてもいた。……よかった。自分たちは神代と司の、知ってほしくないことを勝手に知ってしまったわけではなかったんだ。
 二人の意に反したわけでも、話してくれた咲希の意図を勘違いしてしまったわけでも、なかったんだ。
「……咲希ちゃん、人の大切な秘密を――まして司さんのことならなおさら、勝手に言いふらしたりなんてしない筈だから……だけど神代さんは本当にびっくりしてるみたいだったし、わたし、もう頭がこんがらがってしまって……つい捲し立ててしまって、お騒がせしました……」
 さっき自分が言ったことを思い出すと、本当に大層なことばかりで、よく咄嗟に自分の口から出てきたなと驚く。
「でも……つい言ってしまったことではありましたけど、出まかせではないつもりです」
 頬に赤みが差したまま、神代が静かに目を見開く。自分の顔も、まだとっても赤い筈だ。けれど、これだけはどうしても、言わなくちゃ。伝えよう。穂波は顔を上げた。
「お二人が――恋人として、もしかしたらこの先、人生のパートナーとして……生活していこうとすると、今の社会や制度の中では、きっととても大変なことがたくさんありますよね。……すみません、まだ想像でしかないんですけど、でも想像はできます。そしてそんな中で、わたしに何ができるかっていうと、お二人の直接の力にどれだけなれるかっていうと、本当に……大した助けにはなれないかもしれません。力の及ばないことがどうしてもあるかもしれません」
 でもわたしはやめません。神代さんたちの力になろうとすることを、自分で勝手に諦めたりしません。
「だから、神代さんにもわたしを頼ってもらいたいと思うんです。抽象的な言葉ばかりになってしまうようですけど……逆に言うと、枠に当て嵌めず、ふるいに掛けたりせず、どんなことでも先ずはお話を聞かせてほしいって、そう思います。だって、ほら……神代さんも、さっき言ってくれましたよね? 神代さんにさえできないことがあったとしても、わたしたちのうち誰かなら、わたしたちみんなでなら……もしかしたら、できちゃうかもしれませんから!」
 そう言いきって笑ったとき、突然、穂波の身体は手許からぐんと引っ張られた。思わずというように神代が支えるための手を差し伸べてくれたけれど、それは結局穂波に触れることはなかった。
「わっ……!? わー!! し、しばお、待ってってば!」
 力の正体はしばおだった。今の今まで微動だにせず伏せっていた筈が、何に興味を惹かれたのかはたまた休憩に飽きたのか、いつの間にやら元気いっぱいに起き上がっている。そのうえ殆ど駆け出しそうな勢いで、穂波の手をリード越しにぐんぐん引っ張っているのだった。
「ほ、ほんとに気まぐれなんだから……!」
「ふふ。無事に帰れそうでよかったじゃないか。……さ、どうかしばおくんが乗り気なうちにお散歩に戻ってあげておくれ」
「あ、ありがとうございます……そうさせていただきますぅぅ……」
 しばおのやる気を削がないように、且つこちらからの制御を利かせるように、絶妙の加減でリードを握るのは穂波にもなかなかむつかしい。神代への挨拶もそこそこにしばおの目指すお散歩コースへと戻っていく。
「……望月くん!」
 背中に声を掛けられて、振り返った。しばおは待ってくれない、それでも振り返った。穂波の目は、さっきの場所に佇んだまま真っ直ぐに穂波を見ている神代の目と、ぴたりと嵌まった。

「ありがとう」

 けっして大声ではない。
 でも少し離れた穂波のところまで過たずに届いた、それは柔らかくて……力強い言葉だった。
「……はい!!」
 笑みが溢れて、思わず手を振る。自分の行動に気付いて恥ずかしさに手を引っ込めそうになる前に、神代が大きめに手を振り返してくれた。
 ぽかぽかしたものをぎゅっと胸に抱えて、前へ向き直る。しばおの楽しげな歩調に乗せられて、いつしか穂波も歌うようなステップを踏んでいた。

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