ガク刀咎人

ひざしいろのあまいやつ

 波打ち際を歩いている。
 正確には、歩いてるガクくんの背に乗っけてもらっている。

 突発的なドライブへのお誘いを引っ提げて現れたガクくんに、のこのことついてここまで来た。せっかくなら歩きたいよねぇとビーチサンダルに履き替えた彼と違って、家を出た当初はこんなとこまで来るつもりのなかった僕は普通に学校指定のローファーだ。だからと言ってガクくんの言葉を否定する考えは全く無く、当たり前に靴を脱いで彼に続こうとしたら、それよりも早く、なぜか当たり前のように彼におんぶされていたのだった。

「怖いな。海ん中にでも落とす気なんだろうな」
「しませんよ!」

 ゆたゆたと歩き出したガクくんの首に、僕は躊躇わず縋り付く。まさか落っことされると思っているわけではないけれど、落っことす気なんだろうという疑いの言葉からは自然に導かれる仕草だった。燦々と、というよりもさらさらと、午後の日差しは薄く降り掛かってくる。そよ、と涼しい風が熱を攫っていってくれもする。それは、くっついたガクくんの背と僕の胸との間を吹き抜けることはなかったけれど、ガクくんも僕も、そのことについて何の冗談も口にはしなかった。

「晴れてて気持ちいっすよねぇ」
「ね。思ったよりかは涼しいし」
「ね」

 ざく、ざく、砂が鳴る。今、ガクくんの足は二人分の重さに沈んでいるんだなあと思う。それを不憫だとは思わないけれど、なんとなく、一人分の体重に近付けてやった方が歩きやすかろうかと思った。二人分の体重を、一つにぎゅっと凝縮するイメージ。ぎゅっと、僕は腕の中の身体へと縋り直した。そのままぴっとりと、目の前の肩へほっぺたを預けてみる。僕らの間に、風が吹き込む余地はいよいよ無くなったけれど、ガクくんはやっぱり文句の一つも言ってきはしない。代わりに、僕の脚をそっと抱え直してくれる。

 ぱしゃん。それまでの波音とは異なった水音が、すぐ下から聞こえた。首を伸ばして見ると、確かに、ガクくんの足が淡い青色の波に晒されている。ぱしゃ、ぱしゃ、ガクくんはそのまま、波と浜との境目をゆっくりとなどるように歩き出した。
 波が引いて、足許の砂もすうっと沈んでゆく。だば、と波が寄せて、足首もふわっと押し上げられる。その感覚を、横目に波の運動を見ながら、安定したガクくんの背中の上で、僕も自然と思い返している。
「……刀也さんも、水に浸かりたい?」
 唐突に訊かれて、顔を上げた。
「やっぱ僕、海に放り込まれるってこと?」
「ちげぇよ!」
 瞬時に反論した後で、「……いや、どうっすかねぇ?」となぜか前言を翻してにやにやし始める。そこをとぼけるつもりなら発言の順番が違うだろ。今、この人は、本当には何を誤魔化そうとしたんだろうか。
 本気で僕が怯えていると思ったのか、がっくんは意地悪そうな顔をさっさと引っ込めた。「そういうんじゃなくてさ、ほら」ぱちゃ、とサンダルの足が波を蹴って見せる。「水、気持ちいいから、とやさんも歩きたいのかなって」
 固より穏やかだった歩調が、殆ど止まりそうに落とされていることに気付く。
「……僕、ローファーだから」
「……脱がしたげるよ?」
「……」
 とろとろと、線を引き摺るように、僕を乗せたガクくんは歩く。そうやって書いたなけなしの足跡は、だめ押しのように波に洗われてく。
「……がっくん、自分からおぶってきたくせに、重たいから放り出したくなってんだぁ。はくじょぉ。むせきにん」
「ちが、ちがいます、ぅ」
 敢えて僕は、やかましく脚をばたつかせた。こんな鬱陶しいクソガキムーブなら全然、放り出されたっておかしくない。そうなったって君はなんにも悪くないし、僕も全くの自業自得。そんな構図。
「こら、ほんとに落ちちゃうでしょーが……!」
「落としたら恨むよ」
「こっちだって落としたくないもん!! だから暴れんなってっ」
 ぎゅっと両脚を抱え込まれて、どちらが相手にしがみ付こうとしているのだか僕は一瞬分からなくなった。馬鹿な思考に混乱している内に、身体の動きも自然と止まってしまう。いつしか持ち主の意思に反しておとなしくなった脚を、ガクくんがほっとしたみたいに揺すり上げた。
 そのまま再び歩き出す。その流れるような行動にびっくりする。
「……ほんとにさ、重くない?」
「ちゃんと君を背負ってんだぁって感じして嬉しいよ」
 さらりと返された言葉に、胸がきゅっとする。びっくりする。相も変わらないお人好しにびっくりして、胸がきゅっと鳴く。
「ごめんなとやさん、……歩きたい?」
「……やっぱ降ろしたいんじゃん」
「違うんだよ」
 おぶられている僕以上に、なぜか負い目を感じていそうなぎこちない声で、ガクくんが答えた。
「……あろ、本当を言うと、ずっとこのままおぶられててほしくて」

 だって刀也さんとこの距離でいられるの、オレ実はさっきからめちゃくちゃ嬉しくて。
 海来ようって言ったとき、こんなこと狙って誘ったわけじゃなかったけど、最初におぶろうとしたのも、素足で何か踏んだりしたら危ないよなあって思ったからだけど。
 刀也さんが掴まってきてくれたとき、なんか、めちゃくちゃ嬉しくなっちゃった。
 こんなにひっついててさ、実際、暑くないわけないじゃん。ましてや涼しいわけがないじゃん。それでもさ……刀也さん、ぎゅってしてくれて。何も言わないでいてくれて。オレ、きっとすごくだらしなくにやにやしちゃってましたけど、見えてなかったんならよかったです。言っちゃったけどね。だって本当に嬉しかったんだから。嬉しかったんだ。本当に、オレは、

「ずっと嬉しいよ、今も」
 あまりにもおだやかなこえ。
「まぁ流石に、とやさんが降りたいならほんとに靴は脱がせたげるけど……その代わり、ばらばらで歩く代わりに、手とかはずっと繋がせててほしいなって思っちゃう」
 冗談にしては、あんまりにも控えめな笑い方をした。そんなガクくんは、僕に歩くかって訊きながら、立ち止まることは一回もしなかった。
「……手ぇ、繋がなきゃなの?」
「オレから離れて歩きたいなら」
 ……どうしようかな。悩むそぶりに紛れて、手近なこめかみにそっと頭突きをかましたら、どっちでもいいんすよと嘯いた頭がぐりぐり懐くように擦り寄ってきた。ちらりと見えた横顔には、まるでさっき白状していたとおりの笑みが、まったく無防備にとろけている。
「しょーがねぇ……このまま乗っといてやるか」
「お! お目が高いっすねぇ〜、こちらなんと正真正銘、剣持刀也専用の伏見タクシーですから! 存分に堪能してくださいよ!! ええ!!」
 分かりやすく喜んだ伏見が、調子に乗ってばしゃばしゃと駆け回り出す。飛沫が舞う。光の粒が飛ぶ。くるくると踊る。ふわりと揺れては、地を危なげなく踏み締める、ガクくんの背中に抱き付いて僕は笑っていた。たくさん突っ込みどころはあって、それでも、僕の中にはたった一つ、その言葉だけが柔らかく引っ掛かって残っていた。
「……僕だけの、か」
 肩に顔を埋めればくぐもった。ごくごく小さな呟きは、ガクくんの服にあったかく染み込んでいって、そこでガクくんは初めて立ち止まった。耳みたいに跳ねた髪を揺らして振り向く。目が合う。細めて、……とろけて。
「とぉやさんだけなんだよ」

 しゃく、しゃく。砂が鳴る。
「――せっかくの、あなた専属なんだから。今後とも末長くしっかり頼ってやってくださいよ?」
 今更照れたんだろか。ちょっとぽしょぽしょって、無雑作めに放られた言葉。けれど、ほかでもない僕がそれらを取り零す筈はなくて、抜け目なくぎゅって、ぜんぶぜんぶ抱き留めた。
「うん。……うれしい」

 ガクくんのこがねいろの耳が、ぴくって跳ねた気がした。
 はちみつを掛けたみたいに、僕らが呑み込まれてく。いつの間にか傾きかけた日差しが、僕の好きなガクくんの色を、甘く、視界いっぱいに照らし出している。

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