ファウスト東の保護者

改革ということ

 中央の国の王子のやり方を目の当たりにして愕然とした。
 ああ、あの者が描いていたのは、そして僕ではなくあの者の後についていくことを選んだ者たちが望んでいたのは、〝こういうやり方〟だったのか、と。
 四百年独りで恨んだ。四百年の後で、初めて、理解させられた。
 ああ、だとしたらやっぱりあの者の心変わりなどではない。彼は乱心で僕を殺したのではなかった。
 最初から、僕らの見ている景色は、そしてそこへ至るために選ぼうとする道は、違っていたのだ。
 かつての朋よ。やはり僕はきみを見誤っていた。僕がきみを好きでいた部分について、そのうちのいくらかは僕の見たとおりのものだったかもしれない。けれどもそのうちのいくらかについては、僕の見立ては正確でなかったのだ。
 人間と魔法使いとが、共生する世界。
 僕は、そこへ至る道は、そこへ至る最も崇高な道は、一つしかないと信じていたよ。
 それはすなわち、差別を悪とする考え方だ。それを唯一の秩序として僕は打ち立てた。
 魔法使いを偏見や欺瞞に基づいて排除しようとする人間の思想を、またそれを正当化し再生産し続ける社会構造を、徹底的に否定し打ち壊すべきだと。僕らの平和に豊かに、真に共存する社会は、そうすることによってしか掴み得ないと。
 僕はそう考えた。そして、僕らの〝平和で豊かな真の共存〟を目指していたきみも、僕と同じ場所を目指すからには当然、僕と同じ道を行くつもりなのだと思っていた。
 だって、あそこへの道はそれでしかあり得ない筈だったのだから。
 あの頃、僕は疑いもなくそう信じ込んでいた。きみに処刑されてからも、落ち延びて恨みの炎を燃やし続けたそれからの四百年の間も、ずっと。
 それがどうして。今。
 いや、今、だったからなのか。
 おまえの血を引く末裔だという王子。おまえの掲げた理念の許にある王国を統べる、おまえの理念を自らの信念の中に受け継ぐ者。
 その彼が、四百年の後、今、僕の前でやって見せたこと。
 〝恐怖する者〟に寄り添うこと。
 ――〝石を投げる者〟に慰めの言葉をかけること。
 その瞬間、僕の世界がひっくり返った。僕の見ていたアレクの姿が、四百年の間見続けた姿が、初めて歪んだ。先ずは怒りさえも咄嗟に忘れた。僕は自分の身を襲った、とても言葉では言い表せないほどのあまりの衝撃に、立っているのがやっとだった。
 ――〝怖い〟だと?
 自らの内にある誤謬に塗れた認識のためだけに、魔法使いを踏みつけ貶め痛めつけてきた人間が、あまつさえ落涙して〝あなたたちが怖ろしくてしょうがなかったのだ〟だと?
 そんな感情、偏見に満ちた誤解の産物でしかないではないか。
 でももだってもない。人間の中に善良なものと性根の悪いものと、被害者と加害者とがいるように、魔法使いの中にも、他者を傷つけるものと他者を守りたいものとがいるだけだ。
 魔法使いの不思議の力は、人間が時に言葉の使い方一つで他人を欺き搾取したり、時に道具の使い方一つで他人の人生を奪ったりするのと同じことだ。使い方次第で益にも害にもなるという点においては、人間の持つ力となにも変わらないのに。
 魔法使いと人は同じだ。無論、生態の違いはある。でもなにも変わらない。
 生きていたい、苦しみたくない、誰かと、繋がっていたい。
 そう願い切実に日々を生きる、ただの、存在なのに。
 その素朴で確かな、ささやかな現実を見ようともせず今まで散々踏みつけにしてきたやつらに、その差別の思想の歴史に、どうして踏みつけられてきた僕らが〝寄り添って〟――おもねってやらねばならない? 石を投げざるを得なかったのだと嘯く者の〝心の傷〟とやらを、ほかでもない彼らの手によりさんざ傷つけられてきた側が癒してやらねばならないのは一体どういう理屈だ?
 悪なのはその思想だ。その社会構造だ。それを追認する個々の人間の蒙昧さであり、蒙昧を再生産し続ける社会システムとしての教育の不足だ。
 それをこそ改革したかった。そこが変わらなければなにも変わらないのに。強者に遠慮しながら気遣いながらのろのろと、変わるか変わらないかの淡すぎる夢を抱き続け、本当に世が変わるのを何十年も何百年も待っていられるようなぬるい状況ではとっくになかった。だから、だからこそ僕は、武器までをもこの手に取ったのに。
 構造的加害者にとって都合のいい被害者像を体現していなければならないなんて、アレク、ああ、アレク! おまえは僕の隣で僕と同じように笑いながら、そんな道程を理想と名づけて抱いていたのか……?
 結局、結局――おまえは最初から、僕のことを〝弱者〟に押し込め続けておく気しかなかったのか?
 僕のことをずっと見下していたのか。きみが僕に優しかったのは、人が愛玩動物を慈しむような感覚だったとでも言うのか。
 ――それならば、そうだったと言うのならば、今度こそもう、僕の負け、か。
 自分の理想を、無邪気にも、誰かに仮託などしてしまった僕の。自分の慕う相手に、自分自身を同一化させるような真似をしてしまった僕の。それはもう、若さゆえの、四百年続いた無知ゆえの、まごうかたなき僕自身の愚かな失態だったのだ。
 オズに労られる、アーサーを見た。
「――ファウスト先生、流石でしたね!」
 ヒースの屈託のない労いが心臓に鈍く刺さる。
 首を振りながらちらりと確認すると、横目で僕を見ていたネロと案の定、一瞬だけ目が合った。
 あいつならなにか察したのだろう。けれどもあいつならなにも言わないのだろう。それでよかった。その筈なのに、それすらも煩わしかった。
 今はもうなにもかも、どうでもよかった。纏わるすべてを僕から剥ぎ取ってしまいたかった。
 捨てられないからこそ憎いのだと思い込んでいたものが、もうとっくに、それどころか最初から、僕の手にはなにひとつ掴まれてなんかいなかったことを知ってしまった夜だから。

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