ネロファウ

猫とキッチンとストレス回避

「ファウスト。度々すまない、授業のことで相談があるのだが」
「ああ、構わないよ、オズ。行こうか」
「あっ」
 まったく関係ないネロが、そこでいきなり声を上げた。会話をしていたオズとファウストが、偶々横を通りかかったそんな自分を見る。盗み聞きみたいになってしまって、内容はどうあれ多少申し訳なくなりながらも、ネロは怖ず怖ずと言葉を継いだ。
「えーっと……もしかしてお二人さん、談話室を使うつもり?」
「……?」
「? まあ、そうだな」
 オズがちょっと首を傾げて、ファウストもちょっと首を傾げながら、ネロの質問に答えた。
 気位の高い猫と、気位の高い猫が、揃って人の進言に耳を傾けてくれようとしている光景に見えたから、ああ世話を焼いてみてよかったなあと、ネロは口に出せば一転ドン引きの視線を食らうこと必至の感慨をしっかり心の中だけで噛み締めた。
「あー、今はあの部屋使うの、やめといた方がいいかも。なにやってるのか知らないけど、すごい騒音だったからさ」
 ついさっき通りすがりに聞こえたままを話せば、素直な猫×2はふーっと目を見開いた。とりわけ紫色の瞳の方が、分かりやすく大きくなった。
「騒音……。喧嘩でもしてるのか?」
「北か? ならば、子どもや賢者が巻き込まれないうちに、私が止めてこよう」
「ああ、いやいや。たぶんそういう物騒なのじゃねえんだよ」
 彼らの仕事を増やそうとして声をかけたのではなかったから、ネロは慌てた。本当に、彼ら自身に、余計な苛立ちや気疲れやを感じてほしくなかっただけなのだ。
「こないだから、たまーに聞こえることがあるんだけどさ。見たところ、誰も怪我してる様子もねえし……寧ろあの後は、なんていうか、すっきりした顔? してるやつがいるくらいだから……なんだろな、下手な歌でも歌って気持ちよく騒いでんのかね」
「……談話室で?」
「……傍迷惑な話だな」
 さっきまで見開いていた目を、今度はぎゅーっと険しく顰めて、猫二人は呟いた。こうして並んでいると、意外と起伏があるなと思っていたオズの表情の変化はやっぱりとてもささやかで分かりにくいし、普段あれだけ陰気を気取っている先生は実際のところまったく豊かな感情を殺せていなくて、表情をくるくると伸びやかに変化させていることがよく分かる。
「はは、まあな……。とにかく、廊下までそんな音が漏れ聞こえてくる状態だからさ。話をするのには向いてねえと思うし……とりわけ、俺やファウストみたいなのにとっては、かなりストレスがかかると思う。先生会議するなら、今日は別の場所をおすすめするよ」
 そう言ったら、ファウストの目がこれまた分かりやすく、とろっとゆるんだ。オズのまなざしも、例によって分かりにくくはあるが柔らかくなっている。
「そうか……。分かった。気遣ってくれてありがとう、ネロ」
「感謝する」
「いや、どうも。なんか立ち聞きした挙句、勝手に口挟んじまって、悪かったな」
 ずっと気にしていたことを最後に謝ったら、二人の猫はまた目をまんまるくして、首を横に振ってくれた。
「……ならば、今日は食堂を使うか。不都合はあるか、ファウスト」
「特に込み入った話でないのなら、それでいいだろう。僕は構わないよ、お気遣いありがとう」
「……あー、……なら、俺がお茶淹れてやるよ。ちょうどキッチンに用があったんだ。よければ、こないだ手に入ったばっかの新茶、味見してくれないか」
 これ以上口を挟むのは流石に鬱陶しいだろうなあと気は引けつつも、ネロは己の性のためにどうしても申し出の言葉を引っ込めることができなかった。二対のキャッツ・アイがぴかっと丸く光ってこちらを向く。ネロは猫に、とりわけ茶色いウェーブヘアの方のねこに、いくらか甘えてしまっている自覚が出てきていたので思わず顎を引いた。
 勝手に気まずくなるネロの前で、二匹の猫が、ふんわり笑った。オズのは纏う空気がうんとゆるむだけで。ファウストのは、隠す気なんてないくらいに自然な角度で口許がゆるんで。
「……儲けたな」
「ああ。本当だ」
「ネロ、感謝する」
「ありがとう、ネロ。……ふふ、楽しみだ」
 ……あれ、なんでだろう。
 偶々通りがかって、立ち聞きして茶々を入れて、共用のキッチンで、自分の用事のついでに簡単なお茶を淹れてやるだけなのに。
 今日はなんだかとてもいい日なんじゃないのか。
 ぴかぴかするまあるい目を嵌め込んだ猫を、二ひき、背中に引き連れて歩きながら、ネロは考えた。食べさせりゃいいってもんじゃない、押しつけると食だって暴力に成り下がってしまう、でも今日はうんと気を遣うから、だから、俺の我儘だけれど、お願いだから、あんたたちにお茶菓子をサービスさせちゃもらえないだろうかな。

タイトルとURLをコピーしました