ネロファウ

いつか二人占めしたい雨傘

 恥ずかしい……。
 ネロは人知れず呻いた。ファウストには勿論、シノにもヒースにも気付かれないように呻いた。
 乾いてるのは、確かにファウスト先生の心だったかも分からない。けれど〝相傘〟をめちゃくちゃに意識して混乱していたのは、どう考えたってネロの方だった。
『ああ、きみが照れくさいから冷やかしたんだな』
 そんな情け容赦ないぶった斬り方あるかい。
 あるな。そんなあんたが好きだもの。
 はあ……。
 ――相傘をする二人はいい雰囲気になる。そんな説を言い募るシノとネロに、ファウストが『なるか?』と首を傾げたのは、あまりにもまったく真っ当なことだった。というのも、ファウストが訝ったのは、その〝二人〟というのが、今回の場合〝ファウストとネロ〟だったからだ。
 ファウストの『なるか?』の三字の意味は、『(僕とおまえが必要に駆られて一つの傘に入ったところで今そんな雰囲気に)なるか?』という真っ当な突っ込みだったのだ。恥ずかしい。そりゃそうなんだよ。だってお友達だものね。お友達以前にそういえばネロはさっきからずっとファウストのことを名前ではなく『先生』と呼んでしまっている。あちゃあ。そりゃあ、そんな雰囲気にはならないよ。
 ぜったいに醸し出され得ない筈の雰囲気を、こんな脈絡もないところですぐさま連想して、そのうえそれをダシに友人を揶揄うなんてめちゃくちゃ恥ずかしいことだった。そのことに漸く気付いた今のネロは、だからもうめちゃくちゃに恥ずかしい。呻くしかない。うう。でも声には出せない。うううう。
 別の角度からとどめを刺そうとするみたいに、さらにシノが変わっているようで変わっていない話題でもってネロの弱みを屈託なく抉りにやって来た。ああ、勘弁してよ。そう、シノの言うとおり、おどけることで、煙に巻きたい。気恥ずかしいとか畏れ多いとか期待に添えなきゃ不安だなとか失望されるのが怖いとか、そんな感情を自分が抱いてるということを、そっくりそのまま知られてしまうことこそがなによりも怖ろしいから、ネロは全部茶化してしまう。だからさ、だから触れないでほしいんだよ。
 俺がけらけら笑って流したことは、俺が突っついてほしくないことだから、だから触れないでそのまま流されておいてほしい。わざわざ真面目な顔で、ああきみ自身が感じた照れを隠すために僕の方に問題をすげ替えてその場を流そうとしたんだねとか、ネロはいっつもそうなんだよなとか、ほんと、勘弁……勘弁して。
 うう。ううううう。
 ネロは呻く。心の中で呻く。勘弁してほしいのに、三方から突っつかれるこの場所が全然、嫌じゃない。勘弁してほしいのはほんとなんだけど、でも、あんたらだったなら、すきなんだよなあ。
 ……ファウストは、ほかの誰かが雨の中で濡れていても、おそらく自分の傘に入りなさいって言うんだろう。
 だとしたら今、ネロは濡れていてよかったかなと思った。ファウストがそういうことをする人なんだなあって、知る機会を得られたから。濡れる人に迷いなく傘を差しかけるような彼のことが好きだから、そのまま真っ直ぐいてほしくもあるのだけれど。
 でも、できることなら、ネロとシノが情感たっぷりに言って聞かせてやった説を、頭の中に余裕があったらでもいいから、よければほんの少しだけ覚えておいてほしいな。俺は照れくさいからあんたの傘には入れないんだけれど、もしも、ほかに雨の中を濡れているやつがいたとして、そいつがあんたといそいそ相傘しようとしてきたとしたなら、そういう下心を持っているんだっていうことも、あるかも、なきにしもあらず、みたいな、そういうことをさ。ないか。ないのかな。
 つまるところ俺がそういう思考に常日頃から囚われすぎている所為なんだよなあ、とネロは溜息した。
 自覚があった。
 ファウストのことを、〝そういうふうに〟意識している。
 ほかならないネロが、ファウストとともにいる空間をずっとそのように認識してるから。だから〝いい雰囲気〟だとか、〝肩が触れ合う距離で〟とか、〝まるで世界に二人きりみたい〟とか、そんなビジョンがぽんぽん自然に浮かぶようになってしまってるんだ。ファウストを相手に。ファウストを相手に!
 ネロが、ファウストから見たネロそのままのやつだったなら。ファウストのお友達で生徒なネロだったなら、そんなぽんぽん連想できる筈もない甘酸っぱげな浮かれたワードが。実際、ネロ自身が生きてるネロはファウストを恋愛対象にしてるから、そんな男の口からは、そんなものがざらざら、まるで砂糖壺ひっくり返したみたいにいくらでもとりとめもなく溢れてくるのだ。

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