ネロファウ東の保護者東の国

ギブユー・ギブミー

 レノックスから「東の魔法使いたちもあなたを待っています」と言われた言葉はさらりと受け流してしまった。
 いや、ファウストとしては受け流したのではなく、さらりと〝受け止めた〟と言ったが正しい。なにせそれはレノックスの言葉なのだから裏のありようもないし、そもそもあの子らやネロが自分を置いて宴に興じようとするなんてあろう筈がないというのは誰に言われるまでもなく当然に分かりきっていることだった。
 そしてファウストはその〝当然〟を、撥ね付けるような気に今はならない。
 なので当然、純粋に呼びに来てくれたレノックスに無用な憂い顔をさせることもなく、あっさりと誘いを受けて、ファウストはそのまま彼と連れ立ってクリスマスパーティ会場である食堂へと向かう。

 子犬みたいに駆け寄ってくれた賢者に、レノから教わったばかりの「メリークリスマス」という祝福の言葉を掛ける。すると、さっきからそわそわとこっちを窺っていたシノが、ふふんとなぜか得意げに笑った気配がして、同じくそわそわとこっちを窺っていたヒースが、ふにゃりと嬉しそうに微笑んだ感じがした。さらにその隣ではふわっとネロの空気が動いたのが分かったので、ファウストは賢者とレノの傍を一旦離れて、当然に自分を待っている三人の許へと足を向けた。

「……ネロまで僕を子ども扱いするのか」
 思わずふてた声で甘噛みしたら、ネロは目を見開いて固まった。
 傍のテーブルでは、ヒースが彼から貰ったオルゴールをかちゃかちゃと嬉しそうに覗き込み眺め回していて、その横では、シノがおニューのブーツを早速履くと、カインに自慢するべくテーブルの合間を縫って駆けて行った。
「レノックスから聞いた。クリスマスは子どもを労る行事なのだと。部屋に呼びにきた彼が〝自分はサンタクロースで、あなたにプレゼントを持って来た〟と嘯くから、おまえは僕を子どもと思っているのかと叱った」
「……ふうん」
 ネロは興味なさそうな顔になって呟くと、ファウストから目を逸らした。さりげなく後ろ手に隠そうとされた包みが、泣き声みたいな淡い音を立てる。
「……俺が賢者さんから聞いた話は、ちょっと違って」
 待っていると、ファウストの予測どおり、ほどなくしてネロは伏し目がちに口を開いた。
「子どもたちにプレゼントを配って回るサンタクロースは、伝説で、いるかは分からないんだって。だけどその伝説にあやかって、人々は自分の家族や、恋人や、友達やなんかに、それぞれがサンタクロースの役をして自分の手でプレゼントを贈るんだって」
 ネロはちらっとファウストと視線を合わせてきた。柔らかいけれど、丁寧に並べられる説明が、彼の作る料理みたいな、ネロの言葉だった。
「だからつまりな、……子どもじゃなくてもいいんだよ。要は、自分にとって大事なやつを自分なりに労るってのが、俺が賢者さんから聞いたクリスマスの、やり方」
 ネロはそこでようやっと、はにかんだように微笑んだ。
 ファウストもそれを見てつられて笑った。ネロが時折見せるこういう無防備な笑い方を、ファウストはかなり気に入っているのだった。
「あんたは……俺の家族じゃないし、恋人じゃないし、友達って言うような柄でもないけどさ……俺の、初めての先生だしな。それに、あんたといるとほっとする。あんたと二人で静かに酒を飲む時間も、かなり気に入ってるしな。……いつもありがとな、ファウスト。子どもじゃなくても、名前の付くような関係じゃなくても、俺が労りたいって思ったやつへのプレゼントなんだ、これは。だからファウストに受け取ってもらえたら嬉しい」
 なんについても自信なさげにはぐらかすことの多いネロにしては、珍しいくらいな態度だと思った。
 思わずネロ相手に今更照れてしまいそうになるくらい、真っ直ぐにぶっつけられた好意の形を、ファウストは必死に抱き留めた。必死になっているということを隠さなければと考えかけて、すぐにばかばかしくなって、放り出す。
「……分かった。きみが僕のことを考えてくれて、嬉しいよ」
 素直にはにかんで、喜んで、ネロの手から差し出されるプレゼントをそっと受け取った。ネロらしい優しい色のラッピングが、跳ね回る鼓動みたいにいじらしい音で鳴いた。
「……ありがとう、ネロ」
「うん……」
 顔を上げたら、ふにゃふにゃしたあの無防備な顔で、うんとネロが笑っていた。

 魔法を使って着替えることは勿論できたけれど、相手がネロなので、ファウストはそうしない方を自然と選んでいた。
「……な、なんか気恥ずかしいな……」
「何がだ。上着を着替えているだけだし、着替えているのはおまえじゃなくて僕だぞ」
「いや、そうなんですけど……」
 ネロが今更顔を赤くしてもごもご言う所以が分からなくて、ファウストは首を傾げた。問うても彼は口籠もるだけなので、まあ嫌がっているわけではないだろうと判じて、脱いだマントを遠慮なくその胸に押し付ける。ネロはおとなしくそれを受け取ると、料理のテーブルから離れたところで丁寧にそれを畳んでくれようとしたりする。いや、今そっちはどうでもいいだろ。ちゃんとこっちを見ておけ、ばか。
 言う代わりに着替える手を止めて、じいっとネロの動きを見つめていた。マントを畳み終え、視線に気付いたネロがぎょっと肩を跳ねさせる。その様が愉快で胸が空いたので、ファウストはころころと喉を鳴らした。
「……サイズは間違いない筈だよ、クロエに確かめてもらったから。それとも、あんまり趣味じゃなかった……?」
「違う。きみがこっち向くのを待ってたんだ」
「……は」
 そろそろ赤みの引き始めていた頬を、ネロはまた、ぼっと染め上げる。今のは照れる要素なかっただろ、内心そう呆れつつも「いいからちゃんと見てろ」といま一度釘を刺して、ファウストはようよう、それにふわっと袖を通した。
 クリスマスプレゼントに。
 彼が自分のために選んでくれたというその上着に、身を包んで――ファウストは贈り主の顔を見上げた。
「……どうだ?」
 訊ねる声は、今までの気勢とは打って変わって、流石に少し照れた。
 小さくなったファウストの声に、却ってネロの方は安心したのか、ほっとした表情で頰を緩める。そして、
「似合ってるよ」
 と、柔らかく囁いてくれた。その声で、ファウストの心も、ようやっと安らぎを取り戻す。空気が、とろっとほどける。
「嬉しい。僕も、これは好きだ」
「よかった……。着心地は? どう?」
「うん、とても温かいよ。これなら、きみと出かけるときにも、もう気を遣わせることにならなくて済みそうだ」
「はは……気い遣ってたってわけじゃないんだけど。でもまあ、あんたが身体冷やしてるんじゃないかって、最近心配になることが多かったのは本当だからな。それ着てちゃんとあったかくしててくれたら、俺も嬉しいよ」
 穏やかで、けれどもお互いの心の柔らかいところまでをも見せ合って、撫でさせ合うみたいな、擽ったい会話が流れていく。
 微妙な均衡で弱みに手を触れ触れられていることが、少し怖ろしくて、そして彼とならきっとだいじょうぶなのだと思えるからこそ、その怖ろしさが堪らなく心地いい。さりとて甘えすぎにならないように、少し足を引きながら、ファウストは気になっていたことをふと訊いてみた。
「そういえば、サイズを確かめてもらったと言ったな。クロエも一緒に選んでくれたのか?」
 自分たちの外側へ水を向けることで、少しだけ風通しがよくなる。火照った頬をゆっくり冷ますような空気の中で、ネロはああ、と朗らかに頷いた。
「うん。俺が頼んで、付き合ってもらったんだ。クロエはセンスもいいし、ここにいるやつらの好みもよく見てるからな。それに……俺が悩みながら選んだ物を、あいつが〝それいいね!〟って褒めてくれるとさ……不思議と俺なんかでも、自分の選択に自信が持てるような気になるっていうか。行き詰まったらぽんっとアドバイスをくれるんだけど、それも押し付けがましくなくてさ。お陰で、優柔不断な俺でも、ちゃんと、これって決められたんだよ。悩んでる俺の心情にも、プレゼントを贈られる側の気持ちにも、ずっと寄り添っててくれて……あいつはすごいな」
 いつものように静かな口調で、けれども浮かれたように滔々と話すネロの姿を見ていると、ファウストは胸の中に、ほくほくした柔らかい気持ちがまた新たに芽生えるのを感じた。
「……ふふ。クロエは確かに、いい子だな。それに……信頼できる相手には、そうやってきちんと頼ることができるようになったきみにも、僕から花まるをあげよう。ネロ」
 湧き出でる嬉しさのまま笑みの浮かぶ顔で、けれどもけっして揶揄っているのだとは思われないように、ファウストはできうる限りにゆったりと、噛み締めるように、噛み砕くように、噛んで含めるように言葉を紡いだ。
 途端ひょっと、ネロが面食らったみたいに、怯んだように首を竦めてしまう。だからファウストは、それ以上正面から畳み掛けることはせずに、敢えてそっと視線を流した。ネロを追い詰めないように、けれども届けることをは諦めずに、一言だけ、付け足す。
「子どもたちも勿論だが、きみも、僕には勿体ないくらいのいい生徒だよ」
「……先生の教え方がいいからね」
 ありがと、と小さく続けたその声色から、ファウストは、ネロが過たずこちらの意図を受け止めてくれたのだということをやはり違うことなく理解した。

 ネロがくれた上着は食堂で着込むには少々適さないだろうかと考え込んだものの、食堂内を一周して、ブーツ新調の凱旋を終えて来たシノに言わせれば「おまえはいつものマフラーの方が何倍も暑苦しいし邪魔くさい」だそうなので、袖だけ抜いて肩に羽織っておくことにした。
 ヒースから口の利き方を叱られているシノを横目に、ネロに勧められるままよそったプレートを食べ進める。今夜のパーティ料理はネロの作ではないけれど、彼が勧めてくれるだけあってこれはこれでなかなかに美味しかった。
「……暑いならそれ、脱いでていいよ。先生」
「やだ」
 オズとのお喋りを終えて戻ってきたネロが苦笑したのに、ファウストはむっすりと返した。子どものような言い分に、ネロはくつくつ喉を鳴らしながら、緩やかに首を傾けて見せる。
「やだって。……あんたが本当に喜んでくれたのも、プレゼントしたいと思った俺の気持ちごとちゃんと受け取ってくれたのも、それを大切にしようとしてくれてることも俺は分かってるからさ。気を遣わなくてもだいじょうぶだよ。あんたが必要なときに役立ててくれれば、それでいいよ」
 ネロが穏やかな目をして、ファウストのことを柔らかく見つめている。優しい声は確かに彼の真心を伝えてくれるものだったけれど、ファウストはだからこそ、なお頑なにぶんぶんと首を振った。
「違う。気を遣ってるわけじゃない。本当に、僕が嫌なんだ。まだ脱いでしまうのが惜しいんだ。きみが料理やお酒以外で初めてくれた物だし、デザインも着心地も本当に気に入ったし、それに、そもそも別に暑くもなんともないんだから。必要なときというのなら、今だって紛れもなくそのときだ。僕の物なんだから、いつ脱いでいようがどこで着ていようが僕の自由だろ。それとも、食事中に着ているのを気にしてるのか……? こんなに大切な物に、パンくずを零したりしないし、ソースだって撥ねないよ。大切にするから、だから、今日はまだ着ておく。着ておく。だって僕が気に入ったんだ」
 ファウストが言い募りながら必死に睨め付けると、ネロは愈々声を上げて笑い出した。
 頬を膨らませるファウストの視線を受け続けながら、ネロは頬が赤くなるくらいに笑い転げている。ファウストはますますむうっとした顔を作ると、食器を置いてネロに詰め寄り、りんごみたいに熟れたそこをぐりぐりと親指の腹で突っついてやった。
 ネロは笑ったまま、仕返しみたいにこっちへ両手を伸ばしたかと思うと、ファウストの膨れたほっぺたをふにふにと両側から挟んで揉み込んでくる。倣ってファウストも彼のほっぺたを抓む。優しくしたつもりなのに「いひゃいよせんせえ」という声が上がったので、真偽は分からないけれど真だったら困るから、ファウストは指を離して、労るようにネロのほっぺをさすった。
「あはは……案外、子どもっぽいことするときもあるよな、先生も。……けど、」
 目の端に涙まで湛えたネロが、かろうじて笑いを収めて言葉を紡ぐ。子どもっぽいとは、今までの言動のうちどれのことを言っているのか、もしもこの身体的なじゃれ合いのことを言っているのならおまえも完全に同レベルなのだが。いろいろな意味で腑に落ちなくて眉間に皺を寄せたファウストの顔を、ネロはうんと近くで、甘える仕草の続きみたいに真っ直ぐに覗き込んできた。

「そういうところもさ、けっこう好きだよ」

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