ネロファウ東の国

今日は貰います

「どうしてそんな話に……」
 ファウストはサングラスを指で押し上げて首を振った。というポーズをせめて取った。
 あまりこの子たちの言うことに、よし、分かった分かったと頷いてばかりいては、流石に甘やかしすぎるだろうと考えているからだ。
 それなのに、本来ファウストと同じ側である筈のネロが「誕生日当日に主役を攫ってっちまったら、あんたを祝いたい魔法舎のやつらが流石にかわいそうだったからな」と、どの立場目線なのかまるで分からないことを平然と畳み掛けてくる。
「百歩譲って日取りの問題じゃないよ。なんで僕の隠れ家に、用もないのにきみたちを招かなきゃならない」
 不満だ、という意思をこれでもかと表情に乗せたつもりだったのに、それを真正面から受けた筈のネロは楽しそうに声を上げて笑い出した。
「誕生日なんだからいいだろう」
「それは昨日聞いたよ、シノ。ついでに僕の誕生日も昨日、きみたちにそれを祝ってもてなしてもらったのも昨日だ。昨日のうちに全部済んでる。今日のきみたちの突拍子もない提案とは、何の関係もない筈だ」
「だからだ」
 シノは得意満面でにやっと笑う。この子がこういう顔をするときは、大抵ファウストの頭が痛むことを言うときだ。その予感だけで既に目眩を起こしそうになっているこめかみを押さえて、ファウストは身構える。
「あんたのことだから、もてなされっぱなしは落ち着かないだろ。だから昨日の今日で、オレたちの方から礼を受けに行ってやる。全力でもてなし返されてやるぜ、ファウスト先生」
「……っていうのは口実なんですよ!? 俺たちは、ただその……昨日の分だけじゃ足りなくて……もうちょっと四人でいたいな、って思ったんです。討伐や調査の任務で一緒に動くことは、相変わらず多いですけど。そういうのじゃなくて、もっと落ち着いた時間の過ごし方も、偶にはしてみたくて……」
 シノのやはり突拍子もなかった発言を、フォローするようにヒースの慌てた声が引き受けた。
 麦色の睫毛を伏せた儚げな表情を見るまでもなく、この子がこんな台詞を出任せや方便で吐くとは思わない。ファウストは、二人の子どもらに違う方向からがんがんと殴りつけられて、思わず帽子の鍔を下げた。盛大に溜息を吐いて聞かせたら、視界の外で、ネロが飽きもせずにまた笑った。
「はは。……まあシノの言うことも半分、ヒースの言ったことも半分ってとこだよ。最近、四人だけでゆっくりできる時間があんまりなかっただろ? 俺たち、あの家が好きだしさ。ほんとは昨日も、あんたの家でお茶会したかったんだけど……さっきも言ったとおり、あんたを祝いたいのは俺たちだけじゃないからな。ちょっと遠慮して譲歩して、あの形になったってわけ。気遣いができていい生徒だろ?」
 俺たち、と帽子の下を覗き込むように首を傾げながら、ネロがのたまった。
 腹の底から呆れ返って、物も言えないファウストは、吐き出せる溜息すら底をついた。首を振りながらどうにか顔を上げたら、ネロから視線を逸らした先で、子どもたちのきらきらする大きな瞳とばっちりかち合ってしまった。
「……いいよ。いらっしゃい」
「やった! 信じてたぞ、ファウスト!」
「もう、シノってば無茶聞いてもらう度にそればっかり……御無理を言ってすみません、ファウスト先生。でも、俺もすごく嬉しいです……!」
 心許なく頬を掻きながら呟けば、間髪を入れずに二人の愛しい笑顔が弾けた。
 知らず知らず、こちらまで相好を崩してしまいそうになる。しかしファウストがそんな自分の表情の変化に気付くよりも先に、ふと、前触れなく身体が傾いだ。思わず「わっ」と声を上げる。
「……ね、ねろ?」
「ありがとな、先生。……シノはああ言ってたけど、勿論、料理なんかは俺も手伝うからさ。あの辺の食材、おすすめの食べ方とかあったらまた教えてくれよ」
「あ、ああ……それはいいけど。それより何だ、この手は」
「ん?」
 驚くほど近い距離にあるネロの顔が、全くもって白々しい表情を浮かべて首を傾げる。ファウストが頬を膨らませて、抗議するようにネロの手をぺしぺし叩いたら、腰に添えられていたそれは素直に離れていった。
 かと思うと今度は飄然と肩に移動して、悪びれもせず同じように抱き寄せてきたりする。
「何って……恋人を目的地までエスコートさせてもらおうかなって?」
「自分の家に帰るのにエスコートも何も必要あるか。するとしたら僕の方だろ」
「あはは、確かに」
 ネロは笑って、全部が冗談だったみたいにあっさりと身体を離してしまった。ファウストは彼の軽口に本気で呆れていたのだけれど、その筈だったけれど、この態度に対しては、なぜだか釈然としないような気分が残った。
「行こ、ファウスト」
 先に立って、子どもらの方へ歩き出しながらネロが言う。ファウストは思わず、勝手にしろ、と吐きつけたくなった。しかしすんでのところで飲み込む。いや、理性でもってそうしたのではない。思わず飲み込まざるを得なかったのだ。
 ……いつの間にか手を繋がれている。
 ネロに、手を引かれていた。
「早く来い、ファウスト、ネロ。泊まり掛けとはいえ、時間が勿体ない」
「俺たちはお邪魔する側なんだから、あんまり我儘言うなよ、シノ。それに、出発する前に賢者様にもう一度挨拶をしておかなくちゃ」
 人を探して庭を歩き始めた子どもらの後を、とぼとぼついていきながら、ファウストはぽつりと訊ねる。
「……賢者にももう報告してあるのか」
「ああ、ばっちりだよ、先生。カナリアにも、明日の夕飯までの世話を頼んである。俺も多少作り置きをしてきてやったから、心配要らないぜ」
「……そう」
 茫然と頷きながら、ファウストはそっと、自分の右手に目を遣った。確かに、勘違いじゃなく見間違いでもなく、ネロの左手がしっかりと、ファウストの右手を握り締めて引いて歩いてくれている。
「そうだ。ファウスト、偶には俺の箒に乗る?」
「……は?」
 はっとして顔を上げたら、ネロが振り返って、幽かに照れたみたいに微笑んでいた。
「移動がてら空中デート、どう?」
「……子どものいる傍でデートはない。だが相乗りは悪くないな。飛行訓練の個人授業でもしてやろう」
「げっ」
 せっかくの誘いを断るのも忍びなく、ファウストなりの折衷案を出してやったのに、ネロは失礼にもさっと顔を顰めて嫌そうな声を出した。
「それは、俺は間に合ってるかも……おいシノ、おまえ見てもらえよ。先生が箒の飛び方鍛えてくれるって」
「強い飛び方?」
「ああ、強い強い」
「適当を言うな、ネロ。後輩に面倒を押し付けようとするんじゃない」
 容赦なくぴしゃりと叱ってやると、やんちゃな生徒はますます不満げに目を眇めた。
「面倒だっていう自覚がおありなんじゃん……」
 苦い声でぶつぶつ言うネロに、シノはきょとんと瞬き、ファウストは漸く胸が空いてくすりと吹き出す。それと、ヒースが「賢者様!」と声を上げて駆け出したのとは同時だった。
 真っ白いヴェールのような、薄い陽光が燦々と降り注いでいる。浅い色の青空の下、振り返って手を振った子どもの瞳と、駆け寄る黄金色の髪の毛とが一様に煌めいて、そこへもう一対閃いた赤い眼光が、いっそうの色取りと加わった。
 眩しい景色にゆっくりと瞬いて、ファウストは隣を歩くひとを見上げる。今日の空よりも少し曇った色の髪の毛が、風に揺れて光を透かす度、晴れ間の明るさを見せていた。同じ色の睫毛に縁取られたまなざしは、穏やかに、ファウストと同じものを慈しんで見守っている。
 これから過ごす、四人だけの柔らかく微睡むような時間。それを思うと、ことんことんと、ネロが深夜に掻き混ぜるスープ鍋の中身みたいに、とろみのある鼓動がファウストの胸の中で煮詰まってゆく。
 右手の優しい温度を、ぎゅっと握り返した。

 ……悪くない、気分だ。

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