「しるこさん、好きだよ」
うおっ? と声は出なかった。みんべんさんがぎゅーっと抱き締めてきて、俺の耳の後ろでいきなり珍しいことを言ってきたのに、いや、だからこそ俺は咄嗟に声が出なかったんだ。
「……んぉ、俺もだよ。みんべんさん。ありがとね。俺もみんべんさんのこと、だいすき……」
「…………そう」
よかったね、とこの人はいつもの早口でそう言った。いつもの、あの俺を嘲るような笑みを含ませた口調で、だけどいつもよりも、ほんの少し柔らかく小さく響く声で。
言いながら、すーっと腕を解いて離れていく。顔を微妙に背けている彼をちらっと見たら、やっぱり、その耳許はちょっと赤くなっていた。
「うん。よかった」
「そっかー、ちょろくて助かるわほんま」
ははははは! って、今度はいつもどおりに楽しそうな声を張り上げて笑う。照れてるみんべんさんを照れてるだろーって揶揄うのは、そんなことするともう俺の前で照れるようなことをやってくれなくなっちゃうと思うから、しない。だから俺はさりげなく折れて、みんべんさんの軽口を敢えて肯定する。したら、みんべんさんは調子に乗ったふうに俺をとことん茶化し倒してくる。そうして楽しそうな彼と、本当に同じくらいに楽しくなって俺も笑う。
いつもどおり。
「……ねえ、なんでそんなこと言ってくれたの」
「ええ?」
みんべんさんは明後日の方を向いたまま、笑い混じりに首を傾げる。
「ええやん別に」
「うーん、いいけど、いいんだけどさあ……」
「えっ何、しるこさん俺のことキライなの!?」
「なあんでだよお! 違うじゃあん」
俺が笑いながらぺしゃっと肩を叩いたら、みんべんさんは下手くそな泣き真似をすっと引っ込めて「気持ち悪い声出さないで。あっもう今冷めましたわ。もう大丈夫です」とか淡々とした声で返してきた。大丈夫ですってなんだよ。こっちは全然大丈夫なんかじゃないのに。勝手に人の心臓に火種をぶん投げておいて勝手に冷めないでほしい。
「なあんだよお。……ほんとに嬉しかったのにな、俺」
「……本当?」
「……えっ」
ちょっとだけしんみりして食い下がってみたら、思いがけず真面目な声が返ってきて、びっくりした。
慌てて顔を上げたら、窺うような横目遣いの視線が、かろうじて眼鏡のレンズの端っこを貫いて俺の方を見つめてる。
「……。……うん」
「嬉しかった? しるこさん」
「うん。嬉しいよ、だって俺みんべんさんのこといつも好きだもん」
「〝もん〟じゃねえんだよかわいこぶりやがって」
あははは、と笑い声。
……なんだよ、もう。みんべんさんが思いのほか、真剣で不安そうで優しい声で訊いてくれてるなあと思ったから、だから俺もちゃんと素直に言っただけなのに。今の返答はかわいこぶったわけじゃないし、仮にかわいこぶってたとして、恋人の前で恋人に対してだけかわいこぶることの一体何が悪いのか。
拗ねて俯いた俺の旋毛に、みんべんさんの呆れたような声がぶっつかってくる。
「かわいこぶらなくていーから」
「……今のはぶってないもん……」
「まあた〝もん〟って言ったじゃん。やめてえ? 可愛くないもん!」
「〝もん〟って言ったじゃん……」
「あははははは!」
俺がわざと落ち込んだ声を出せば、みんべんさんはよりいっそう快活に笑う。何を隠そう、俺だって彼とのこういう会話が好ましいのだ。容赦ない殴り合い。畳み掛ける煽り合い。双方適当だから全然噛み合ってないくせに、妙にテンポだけは良く積み重なってく応酬。しばしばストレートな好意の表現は否定されるそのあり方に、ほんの偶にごく稀に、本気で淋しくなるようなことも全く無くはないのだけれど。けど、それでも。
「言ったでしょー? 俺、狙った可愛さには全力で抗いたいんですって」
「あ、ああー……なんか言ってたね」
「そー、だからねしるこさん」
「うんー……?」
「俺の前でかわいこぶらないでよ。ぶりっ子しなくても、あんたもう俺の目にはめちゃくちゃかわいく見えてんだから」
息が止まる。
時間が本当に止まるものだって、初めて知ったかもしらなかった。
「無視しないでしるこさん!! ねえ!!」
「……うるさいなー……」
「はあー!?」
ついさっきまでちょっと静かで、すっごくかっこよかったみんべんさんは、もうぱっと声を張り上げて、いつもみたいにおちゃらけた声で俺のことをつっついてきた。いろんな悔しさで思わず呻いた俺の、そのめちゃくちゃちっちゃかった筈の声を、確実に聞き拾ってみんべんさんはけたけた笑った。
たぶん今、俺の顔はいちごくらいまっかっかになってる。だけどみんべんさんは、照れてる俺を指差してそんなことはひとつも言わなかった。