尼子晴久

かまいたちとぬえ、ごっこ、ごっこ

 くるり、と風が舞った。
 それは横から不意に現れて後方へと流れて行ったのだが、頬をつるんと撫でたその丸みと硬さから、ここ出雲の地で生まれ出でた風ではないことを晴久は直感していた。
 異質なものの流入に小さく眉を顰める。けれども不思議と、危機感の類は煽られないのであった。内心そのことに僅か首を傾げつつ、とまれ違和の正体を確かめようと振り返る。
 はちん。
 すると、目の前数歩先、その風の塊が大きく弾けた。
「……――」
 いや、弾けたのではない。大きく大きく、斬り裂かれたのだ。風そのものの、内側から。
 ひゅん、ひゅん、と続いて風切音が轟く。異質な風を斬る音、そして間合いへ紛れ込んだ出雲の風を割く音――。
 ぱ、と青く染まっていた世界が晴れた。と同時に、からりと光り輝く刃が視界へ勢いよく躍り出る。
 出雲の風に慣れた晴久の目には、その外つ国の風は青く青く見えたのだった。それを切り裂き払い晴らすように踊るのは、二振りの刀。
 双刀の舞だった。ひゅん、と、振るわれる度に露骨な風切り音を生む刀捌きは迅速で、粗い。その所作は肉を裂き骨を挫くために恐らくは特化されたものだ。だからそのための精度は頗る良いに違いないのだが、それゆえに、舞としては些かならず無骨で理詰めな感じを醸しているのだった。
 それでも晴久がそれにうつくしさを覚えたのは、ひとえにそこから溢れ落ちるような自負とひたむきさ、誠実さのゆえか。眼前を舞い狂うのは確かに人を殺すために磨かれた刃なのだが、彼が自らの愛刀に手を掛けることすらせずにいるのは、眼前に満ちる風が人を傷付けるために織られたものではないことがはっきりと分かるからなのだ。
 くるり、くるりと両刃が翻る。それに呼応する四肢は軽やかにしなる。たん、と靴底が小気味良い音を立てて砂を踏み込んだ。刹那、威勢良くその痩躯が中空へ踊り上がる。
 ――とす、と、見事な宙返りを決めて剣士が地上へ帰還したそのとき、青い風は綺麗に霧散していた。
「銀狐の手先は鎌鼬、か」
 晴久は呟いた。出雲の風が遥か彼方から、砂面を撫でて渡ってくる。それは異国の剣士にぶっつかって、ぽん、と、可愛い音を立てた気がした。
「えっへへ、どうどう? 俺、イケてた感じ?」
 果たして剣士が口を開くと、またあの青い風が彼の周りを薄らと取り巻き始めた。少し硬質で、弾力のある風。出雲の薄衣のようなそれとはやはり少し性質が違うのだ。
「――っていうか手先って言い方は酷くねっ?」
 開口一番軽佻に笑って見せたかと思えば、次の瞬間には目を見開いて抗議を申し立てる客へ、晴久はあからさまに呆れた顔で対した。
「んなこたねえ、同じようなもんだろ」
「えーっ、いやいやいや、いや確かに似たようなもんじゃあるかもしんねーけど……けどやっぱその言い方じゃ小物感が凄い」
「それがどうした。お似合いじゃねえか」
「あーっ、やっぱひでえよあんた! 三成様に言ってやるー!」
 わああん、と泣き真似などして姦しい剣士を、勝手にしろ、と晴久は冷めた目でちらりと見下ろした。
 この男、曰く豊臣左腕に最も近き者、名を島左近という。
「……で。今日はわざわざ他愛ないお喋りをしに来たわけじゃないんだろ、鎌鼬」
 冷めた声のまま促せば、島は泣き真似をふいと止めて、ぱちりと目を瞬いた。
「ん。ああ、そうそう。――事前に送った書状は読んでくれたっしょ?」
「ああ」
「本日はその件について。出雲伯耆を治められる国主たる尼子晴久殿に直々にお考えを伺いたく、石田三成様の遣いとしてこの島左近馳せ参じた所存にございます~」
「……一発といわず殴っていいか」
「やだ! 一発たりとも」
 晴久は本気で拳を固めたが、ずっと浮っついていた島の顔に心からの怯えが走ったのを見て、満足したので、それを振り下ろすのは止めてやった。
「ふぅうー……おっかねえよう……三成様もおっかねえけどそちらさんも大概だ」
 先に立って城へと歩き出した晴久の後を追いながら、島がぶつぶつ言っている。いきなり立ち止まって、あたふたしている島の額へ振り向きざま指を弾き当ててやれば、「ふぎゃぁ!?」と間抜けな声が上がった。……楽しい。
 目を白黒させている島をほっぽってさっさと歩き出す。ややあって、ぱたぱたと砂を駆けて来る音がした。
「なんなの!? ねえ、あんた、もうっ……なんなの! もう!!」
 語彙に乏しい批難を背に聞きながらのらりくらりと馬耳東風に徹する。島は吠え止まない。
「鎌鼬かと思ったら、ただの犬っころだったな……それも小せえやつ、やたらじゃれたり吠えたりする盛りの子犬」
「ぬ……っ?」
 島は一瞬固まった。そして。
「ちょっかい出してきてんのはそっちっしょ!? なんだこの不本意! 不条理! あんたこそ性悪で何考えてんのか分かんなくてっ……黒猫か! あ。いーや、鵺だ鵺っ」
「鵺かー」
「むきいいいい」
「よしよし。歯ぁ剥くな、犬っころ」
「犬じゃねえしぃぃぃうぎゃあああ頭撫でるな! 三成様にも撫でてもらったことないのにっ」
 ぽんぽん、と派手な色の頭に手を置くと、島はこれまた派手に喚いた。しかし口でやんや言うものの、一向に実際に払い除けたりしようとはしないものだから、まあいいんだろうかな、と晴久はふんわり思う。思って遠慮容赦なく撫で回す。
 そうこうしていると、ふと、文句を引っ込めた島が問うた。
「なあ、そういやそちらさんの子鹿ちゃんは?」
 その言葉に、今度は晴久が目をぱちくりさせた。
 今日はいねえの? と訊いてくるあたり、島はそれなりに子鹿――もとい鹿之介と、面識があるということだろうか。しかし、自分とは以前からも何度か顔を合わせていたが、鹿之介にこの男と会わせたことは果たしてあっただろうか。
 その旨を訊き返すと、彼は、ああ、と小首を傾げるようにしながら、「前に結構世話してあげたんすよ? 俺」とこともなげに答えた。そんなのは初耳だ。鹿之介は、恐らく傍目にもそうと映るほど、目下晴久にべったりなのである。そんな彼が、己が主に気取らせもせず赤の他人に世話を焼かれるなんて、そんなことが――。
「ほら、あんたがいつだったか変な宗教にハマッちまったときにさ。なんだっけ、ザ――」
 がっ。
 その先は言わせない。有無も言わせない。晴久は咄嗟に、あらん限りの力でもって島の首を絞め上げた。
「ふにゃぁああ!! 俺はまだぁぁぁこんなところじゃ死ねないぃいい三成様ああああ」
「〝こんなところ〟で悪かったな?」
「ちがっ、そういう意味じゃないっ。人の故郷を貶すなんてこたぜってえしねーから!」
 弁明の声がいよいよ掠れてきた気がして、自分とてむやみに目の前で人死にを出したくはないのだとばかりにぺいっと手を離した。解放された男はふらふらと砂に膝を付く。
 げぇっほ、ごっふぉう、と、知り合いの某虎バカ野郎みたいに大仰に咳き込んでいるさまを見遣っていたら、流石に罪悪感がほんの少し。湧いてこないこともなくはない。ことはなくもない。
「湧けよ! そこは! 盛大に湧きなさい!? 甚大に湧きなさい!」
 独り言に耳聡く噛み付いてくる島は、さながら起き上がり小法師だ。その立ち直りの早さはなかなか好ましいのだ。
「言葉の幻術に惑わされないか……これは人の子並の知性を持ってるらしい、見込みがあるな。見世物に夜番、何にだって使えるぞ」
「だーかーら犬じゃねえぇぇっつの!」
 やいのやいのと騒ぎながら歩く景色は、行けども行けども依然、茫漠たる砂漠だ。
 城までの道は、今日は殊更、むやみに長い。

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