Ⅰ
「やめろ、こら」
諌める声を聞かない。隙を突いて床に仰向けに転がした身体へ馬乗りになって、酒の瓶を引き寄せた。
「――おい」
先刻からそれなりに切実だった声が、格段に硬さを帯びる。鋭さを増した視線をも、晴久は瓶を直接煽る喉許へ受けた。
とこん、と置いた瓶は床に倒れたかもしれない。晴久の注意はそちらへ向いていなかったので分からない。今意識すべきは何よりも目の前にいる男。自分が目下組み敷いているところのこの男だったから。
小言のやかましい口がさらに何事かを言う前に――いや、或いは彼はずっと抗議を述べ立てていて、無視を決め込んだ晴久の聴覚がそれを拾わなかっただけかもしれない――そこへ、己のそれをぱくりと重ね合わせた。
存外物理的な抵抗はない。晴久は是幸いと目的の遂行を急ぐ。
催淫剤を混ぜた透明な酒を、口伝いに相手の口腔へ満たしていく。甘みの強い香りは、相手も、そして彼から酒を教わった自分も、好むところのものだった。
「――っ」
「……っげほ!」
酔っていたのは自分のほうだったのかもしれない。何が起きたか分からないまま、晴久は両肩を強く押し退けられ、一瞬後、眼下には顔を横へ逸らして甘い液体を吐き出す彼がいた。
げほ、ごほと、咽るというよりも、きっと流れ込んでしまったものを咽喉の奥から雫の一滴に渡るまですべて吐き出してしまいたいと望んでいるような、理性的な、故意的な、それは咳の運動だった。
晴久はただそれを見た。彼の身体に接してその上へ乗り上げたまま。思うべき感情にも思い至ることなく、彼のその様を見ていると、何も思うところは思い浮かばないけれども、何故だか涙だけが、意識の外からぽたぽたと零れ出てきた。
おい、と掠れて引き攣った声が下のほうから聞こえた。皮の硬い手が触れる。その温かさだけを頬に感じて、その他の感覚や感情やなんかは何も心に留まっていないように晴久には思われた。決壊した涙がぜんぶそういうものを持っていってしまったように、茫然としたまま泣いていた。
頬を支える手が、多少惑うようにしながらも、すぐには離れていかずに、じっとこちらの目許を拭っている。その温度と恐ろしいまでの大きな存在感に、殆ど気圧されるようにして、晴久はやがて譫言のような硬度で呟いていた。
「おまえに愛されたい」