ひたいに、じっ、と唇を押し当てられていて、俺は動けないので突っ立っていた。
頭を両側から、……だいじそう、に、抱え込まれたかたちで、常にはないようなじっくりとした長さで、ただ、念入りな口付けを受けていた。
「……お前さん、案外淋しがり屋なんだもんなぁ」
やがて、唇を離して、藪から棒なことを官兵衛が呟いた。吐息が前髪を湿らせる距離。彼の顔は見えない。俺は、その続きを聞いてから、怒るか甘えるか流すかを決めようと、まだ黙っていた。
「だから。小生みたいなのでも、必要としてくれる。……そうだよな?」
あれ、と思った。
一言めまでは、せいぜい、穏やかなだけだったのが、二言めからなんだか……おかしかった。あまり聞いたことがない。こいつが情けないのは、昔からだけども、そうではなくて、――地に足の着かないような情けなさ、だった。そんな感覚に濡れそぼった声で、官兵衛は言って、そうしてきつく、俺の後ろ頭と肩とを抱きしめてきたのだ。
「……」
顔を上げようとしたのに、それを阻むように彼の胸へ押しつけられる。
「な、お前さんが望む限りは……小生が傍に、いてやるから」
だから、寂しくなんてないんだからな。そう耳許へ吹き込んでくる声音は、やっぱり聞いたことのないものだった。
なんで、いきなりそんなふうに。
「官兵衛……?」
堪らずに、呼ぶと、彼に負けず劣らずの弱い声になってしまう。
そして彼は、答えてくれなかった。ただ、優しい手つきで髪を撫でてくれるだけだった。
俺は、焦る。なぜだか、今日の彼のことはなにも分からなくて、怖くなる。こんなことは、今までなかったのに。……ああ、もしかして、ひょっとして、これは〝逃してはならない〟瞬間なのかもしれない。
人生に、ほんの数回だけ、けして流してはならない――たいせつにしなければいけない、瞬間がある。そこで起こすべき行動を取り損ねてしまうと、ひどい、深い、後悔をすることになるのだと、そんなふうに教えてくれたのは誰だったっけ。
なあ、でも、俺はどうすればいい。今がその、つらまえるべき瞬間なのだとしても。俺はたくさんのことをお前から教わったけれども、お前自身のことをなにも分かれないときに、どうすればいいのかなんて知らない。挙句呼んでも答えてくれないお前に、俺はいま、何を教わることもできない。
「……官兵衛」
もういちど、呼んだ。官兵衛はいっそう抱きしめてくれる。分からない。間違えるのも、怖い。けれども、逃せないのだ、何より。お前を離せない。
だから、
「……俺は……お前でもいいんじゃなくて……お前と、いたい。誰よりお前が傍にいてくれたから。誰でもじゃなくて、お前が、傍にいてくれたから。官兵衛がいてくれたから、俺は淋しくなんてなかったし――」
これからもお前がいてくれるなら、淋しいことなんて、きっとない。
俺はとにかく捲し立てた。最後のその一言だけを心の底からいま、伝えたくて、藁に縋るごと、手当たり次第に言葉を並べた。
「……」
「……かんべ、」
いつの間にか、俺の指は彼の衣を握りしめていたのに、官兵衛は、俺からゆっくりと、身を離してしまう。
ああ。
間違えたのか、どうすればいいのか、また見覚えのある袋小路の入り口だ。そこで茫然と立ち尽くすしかない俺に、――やわらかなまなざしが、触れた。
「晴久」
こちらを覗き込む彼の瞳と、目が合う。それがひどく久しぶりのことのような気がして、途端、雪崩れくる安堵にへたり込みそうになった。なに、とかろうじて返すと、
「……キスしていいか」
唇をそろりと、硬い指で撫でられてびっくりした。
……逃さずに、済んだんだ。
「いちいち訊かなくて、いいよ」
強がって不遜な態度を取ったのだけれど、彼はそれでも、大いに照れた顔をしてくれた。
それが、嬉しかったから、俺のほうから少しだけ、顔を寄せた。官兵衛の手が、俺のこめかみと頬とをゆるく擽る。
唇が触れ合う寸前、ごくりと、彼の喉が鳴った。
その、熱いような、重たい響きに、俺の心音は、変に跳ね上がって、
――そのとき、俺は、恋に落ちてしまったんだと思う。
* * *
官晴で、『君は僕に口付けてから、「私がいなかったらさみしいでしょ?」と呟くような声で言った。』本当はいかないでっていいたいのに。