かとん、とテーブルが鳴る。ゆるく滲む視界のなかでも、おおらかな木目に垂れた結露がきらきらと見えていた。甘い酒気が、霞のように、広くない部屋へ立ち込めている。うぅ、と呻き声が、テーブルを伝って晴久の肘をにぶく震わせた。
ちら、と目を遣る。うぅ、と、低いけれども、獰猛な虎というよりは寧ろ、家猫の喉を鳴らしてでもいるように聞こえるその声は、向かいに座って……向かいに突っ伏している、黒い頭のしたから漏れている。テーブルへ置いたロックグラスを握り締める手の、筋張った感じが、いとおしくてそれを眺めた。
「……晴久……」
うぅ、が、意味を持つ形をとって不意にこちらへ向かってきた。とくりと、心臓のなかへ大きな雫が落ちたような心地がした。
汗だくのガラスを離れた指が、何かを探すようによろよろと木板を這う。晴久は、ちょっと、口をつけていたグラスを音を立てないように、慎重に、テーブルへ置いた。
「晴久……」
息を詰めてじっと注ぐ晴久の視線の先で、彼の大きな右手は、なおも彷徨う。晴久はようやく、そっと、じぶんの左手を伸ばした。
「……ここ」
酒に掠れた声で囁きながら、指の先を、淡くからめる。それがかすかに握り返されたとき、はるひさ、と低い声が、落ち着いたように穏やかに萎んだ。
彼は顔を上げなかった。どれくらい経ったか分からなかったし、夢のようにぼんやりとしたいまこの時間にとっては、そのほかへ存在する時間の流れのことなんてほんとうにどうでもいいように晴久には思われた。濡れた指先どうしがしっとりとからんで、ふたつの皮膚のあいだにある、ぬるくなった水の、まったく同じ温度を共有していた。
「……はるひさ」
また不意に、彼が呼んだ。その声がふつりと晴久の意識をやぶる。少しうとうとしていたらしかった。瞼を持ちあげた。彼は、晴久の前で、さっきと同じ姿勢で突っ伏していた。寝言かもしれない。
呼んだ、と呟くと、勿論、と返ってきて、少々目を見開いてしまった。
「……なに」
「――あいしてる。けっこんしてくれ」
「はあ」
……嬉しくなかった、ということはない。寧ろ残っていた眠気が散り散りになって、少し冷めていた筈の体温がまたどくどくと耳許で鳴り出したくらいには、浮かれた。
ばからしい、といっしょうけんめいに、そんなじぶんへ言い聞かせる。そうしてその一環のつもりで、「それは俺に言ってくれてるの」と、ことさらに茶化すような口調を作った。
「もちろん、お前さんにだよ。晴久」
だから、間を置かずにそう返されて、こんどこそ面食らうしかない。その声は相変わらずもごもごとして、酩酊しているのは、明らかなのに。
「なあ。……本気なんだ、はるひさ、小生と生きてくれ。けっこんしてくれ」
溶けかかるような呂律なのに、さも切実そうに畳みかけるのが、まるでほんものの告白のようで、晴久を容赦なくどきどきさせた。
……ほんもの。
「――そ、……。それ、もし、もしも。お前が素面で、俺の目ぇ見て言ってくれたら、な」
「……ほんとうか」
低い声。それがぽつりと落とされると同時に、ぎゅ、と、繋いだままだった指に力が籠められて、ばくんと心臓が鳴った。
熱い顔を、見られなくてよかった。酒の所為にしきれる自信は正直ない。いま、声がうわ擦らないよう取り繕うのにさえ、こんなにも必死なのだ。
酔っ払いのたわごとを、聞かなかったふりをして、流すことだってできた筈だった。
それなのに、
「――少なくとも、ちゃんと考えて、やるよ」
願ってしまった。賭けてしまった。おまえの言葉に賭けてしまった。この気持ちを懸けてしまった。
ばかみたいだ。
……ばかなんだ。
おまえの所為で。
もう、おれは。
君との恋は夜の上

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