『幸せになれよ』
っつうのは、つまるところどういう意味だったかというとだな……めんどくせぇ。
「娘の結婚を祝う父親みたいな台詞だよね」
「言うな、弥勒」
めんどくせぇ。まぁそういうつもりで言ったんだがよ。一種のジョークというか、ドラマにありがちな台詞のパロディ……的な味わいを持たせて、みたいな。
しかし、
「……そりゃあ通じねぇよな」
「何せ、あのふたりは『現世に来たばっか』だからね」
ミルク片手に茶菓子をぱくつきながら、彼は含みのある言い方をしてみせる。本当にずっと聞いていたらしい。
「文脈を共有していないと成り立たないジョーク、っていうものがあるんだから」
「そうだな」
「……冗談だったの?」
「ああ」
「揶揄ったってこと?」
「まさか」
彼からお裾分けされた桜餅を囓った。
「幸せになれと思っている」
「そう」
「ふたりの前途に幸多からんことを」
「仏が仏に向かって言う台詞なのかな、それ」
弥勒が胡乱を目で訴えつつ菓子で口をもぐもぐさせる。
「めんどくせぇけどよ……あいつらよ、頑張ってるし、可愛いじゃねぇか」
「頭大丈夫?」
「案外失礼な奴だな」
「疲れてるんじゃないかって言ってるの。地蔵、めんどくさいめんどくさいって言いながら、ひとの世話焼きすぎなんだもん」
縁側から垂らした脚を、ぶらぶらと遊ばせながら弥勒は言う。間違ったことを、言う。焼いてねぇし、頭も大丈夫だからだ。
「……あのふたりって、その……そういう関係なの?」
「……んー?」
「『幸せになれ』って……〝そういう意味〟だった、ってことは……その……少なくとも、地蔵の目から見て、ふたりは」
「お前もまだまだ子どもだな」
「な、……⁉」
薄っすらと血の気が引いて見えるほどに驚愕した表情を横目に、茶を啜る。
文字どおり一息吐いて、改めて向き直ると、弥勒の目は殆ど悲しそうに見開かれていた。
「んな顔すんな。五十六億七千万年かけて成長していけばいいことだろ」
「なんで……そんな……果てしない……」
「お前ならできる。釈迦もそう言ったんだろうが」
「……うん……」
ミルクを飲む。その顔で飲んでいて、果たして味が分かっているのかどうだか。
「――いいよ。お前はそれでいい」
「……?」
疲れたように青褪めた目許を上げた彼を見て、俺も俺なりに考え考え、先の言葉に言葉を継いだ。
「〝そういう〟関係かもしれねぇし、そうじゃねぇかもしれん。俺達が言えるのはそれだけだ。互いにどんな関係を築くかは、当人達だけが決めていいことなんだからな」
「……僕も、そう思う」
「そうか」
「……うん」
皿に残っていた柏餅を、弥勒の目が、ちらりと認める。そのままじっと見て、はっとしたように逸らす。
「……お。柏餅最後の一個だな。半分こするか」
「えっ……いや、僕は……ってもう割ってるし」
「やっぱこうなるわな、めんどくせぇ……お前、小さい方でいいか? いっぱい食べてたしな」
「自分で取り分けておいてひとに少ない方寄越す奴初めて見たよ。いいけどね」
弥勒がくすっと笑って、俺の差し出した、四分の一くらいのかけらになった柏餅を丁寧な手付きで受け取った。
「……ちょっと叶ったかもしれないよ」
不意に涼やかな声がする。
見ると、弥勒の低い背筋は綺麗に伸びて、目は柔らかに明るい庭の陽射しへ投げられていた。
「何がだ?」
「僕ね。『誰かの幸せを心から願うひともまた、幸せになりますように』――って、さっき、思わず願ったんだ。……地蔵の柏餅のほうが大っきくなったの、その願いが叶ったからなのかも。なんてね」
思いもよらず、ぽかんと口を開いたまま彼の朗らかな顔を凝視してしまう。
己の手許を見る。一囓りしてなお、弥勒の分より余程大きく残っている柏餅。
「……いただきます」
「うん。有り難さを噛み締めてよね」
子どもっぽい面立ちが、冗談めかして、しかしとても楽しそうにわらった。
……幸せであれ。
俺にその見返りが寄越されるというのなら、その分も全部、お前ら宛に贈り返していい。
流石にめんどくせぇだろうから、誰にも言いはしねぇけどな。