単純に好きだ。
奴は、俺に無いものを幾つも持っていて、俺の醜い部分までを認めた上で許してくれて、俺の至らないところを支えてくれて足りないところを補ってくれて、――理由を挙げようと思えば、そんなふうに幾らでも連ねることはできる。
どれも俺の本心で、けれども、それらが重なり積もった結果が〝好き〟なのか、はたまた〝好き〟の理由を明らかにするべく後付けの理屈として言語化された感情がそれらであるに過ぎないのか、俺自身にとっても定かでない。
俺は、梵天のように考えることが得意ではないから。
奴ならば、俺のこの感情について、もっと正確に分析することもできれば、明快に語ることもできるのかもしれない。しかし、これは俺自身の感情だ。他の誰でもない、この俺であるからこそ、そのお前に向けてのみ、抱き得た感情なのだ。
ならば、語れなくともいいではないか。
話すことは得意ではない。それが、――お前が認めてくれたように、それこそが俺という存在であるのならば。
語ることを不得手とする俺なればこそ抱いたこの感情を、上手く語れず、ゆえに語らぬのも、また俺という存在であり。同時に、そのように持ち主から上手く語られずにあることこそが、俺の感情としての、それの嘘偽りない在り方ではないだろうか。
だから、俺は、今のこの自分の思うがまま。
単純に好きだ。
ただこの直感的な想いだけを、強いて飾ろうとはせず、己の中で確かめていようと思う。
……それでも。もし、もしも。
もしもお前が、その上で俺に、これを語ってくれなどとと請うてくれるようなことがあるのだとしたら。
そのときは、少しだけ、頑張ってみようとも思う。
そんな日が来るのかは分からないけれども。
俺の声を聴くと言ってくれるお前に、俺は真正面からちゃんと応えてみたい。
それもまた、今のこの俺の内にある、嘘偽りなき想いであり、心からの願いなのだ。