思ってた以上にロナル子ネタの扱いがショックだったぽいのでもう三話以降見なくていいかなと思ってきている。
いやあの〝ネタ〟は良いものでは確実になかったしショックはショックだったかもしれないけど、でもたかだか数秒のネタのために残り十話全く見ないって絶対勿体無くないか。
と数日間迷っていた。
けどさっきふと「いやその〝勿体無い/無くない〟って俺が決めることじゃね?」と思った。
俺は嫌だったんだよ。残り十話の中にあるかもしれない、いやいっぱいあるであろう好きな部分、笑える部分、感心する部分感動する部分最高だなって思わされる部分、を見れるかもしれないっていう未知の可能性に賭けることと、今は既に負ってしまった精神的ダメージ、を引き比べてみたときに未知のわくわくの可能性を採るのはすごくエネルギーが要るようんなってしまった。
まあ元々「やってみたら楽しいかもしれんけどめんどくさいからいいや」って思いがちな性質だからってのもあるんだろうけれども。あと毎週番組を視聴するっていうことにかなり負担を感じているので、そういう意味で視聴続かないかもとは放送始まる前から薄ら心配はしていたんだけれども。
でも見始めてしまえばそんな心配とか鬱々とした気持ちなんかはすっ飛んでしまうのかもなとは思う。
ただ、そうなった場合であっても、そうなれるのは、私が私であるからに過ぎないかもしれないっていうことは変わらない。
〝たかだか数秒のネタ〟に尊厳を踏み躙られ続けてきた人、よりもはるかに切羽詰まっていない私だからこそ〝ほんの一瞬気まぐれに感じた鬱々とした気持ちなんか〟を軽々すっ飛ばしてしまえるのに過ぎない。
それになあ。原作(単行本)発売が2015年で2021年にアニメ化するまでのこの間に、この時間を鑑みてその〝ネタ〟をどうこうすることは幾らでもできた筈で、それをしなかったっていうことはその〝ネタ〟がどうこうするべきものとしては捉えられなかったってことでしょう。制作陣においては。
どうこうすべきものって捉えるような〝認識〟が持たれてないってことは、これからもそういう〝ネタ〟はどうこうすべきものっては捉えられないってことでしょう。この制作陣においては。つまり今後ももしかしたら同じようなことでショックを与えられる可能性は高い。高いというか〝そういう〟ネタがあれば確実に同じ調理をされるだろう。その点に関してのみははっきりと、信頼ならないというふうに信用することができると思うんだけどどうだろう。
ていうか別にね。たかだか一つの商業作品ですよね。ノットフォーミーって察して離れりゃいいよな。ってちょっとスンッとなった。
好き好き大好きほんとに好き、って熱を上げてるのがおかしいんじゃないかってちょっと。思っちまった。自分の人生とか性質の根底にあった感性を完全に否定する物言いでウケるが。
離れりゃいいってもんではないがね。
まほやくの上場資料に文句言ったときと考え方は変わってないので、どんなことがあってもそれは単なる好みと相性の問題なので何も言わずに黙って離れろというふうに思い直したというわけでは全然ないんですが。
そういう意味ではないんですが。
ショーカさんが好きなのでショーカさんが喋るのを見るまでは見たいという気持ちはまだちょっとある。
あと考えてみたらまだ松岡禎丞の声聴いとらんやんか。
結局見たら「見た」ってだけ言いに来ますね。見なかったらなんも言わんと思う。