遺跡のざらざらした石壁に凭れて、ぽーっとしている。
ここは、見える辺りには猫草がいっぱい生えている。
猫草って、あれだ。猫がやたらと食むやつ。毛玉を吐き出して健康を維持するのに必要だというので、どんな猫でも、それは律儀に、しかし狂ったように、本能のままに食むやつ。けれどもとても柔らかそうなんだ。硬い草は、猫の口の中も内臓も傷つけてしまうんで。
だから猫草って、猫がやたらと食むやつだけれど、いわゆる〝食〟とはちょっと違うところにある。そうネロは考える。美味しいから食べるのでもなくて、ましてやそもそも吐き出すために、体内に入れるだけのもの。けれども価値はある。役割がある。せいめいのかつどうはとうとい。ネロの意識は、そこで漸くちょっと浮上した。気が付いたら猫草の匂いがうんと近かった。どころか、実際に鼻を擽られる。目を開けたら目の前に緑色があって、わあ、寝てる、と思った。
「ふははっ」
なんだか声が聞こえて、でもちょっと身体を起こすのは大儀で、ネロは、地面に寝そべったままそっと耳を澄ましてみた。聞き覚えのある声な気もするけれど、でもその声なら、たしか普段は、そんな形を取ることはなかったものの筈だ。
聞き覚えはあるけど、耳馴染みはない。そんな変な感じ。けれどもまったく嫌ではなくて、ネロは相変わらずうとうととしながら、聞こえてくる音に耳を傾け続けた。
「あはは! ふふっ……ねろ、ネロ」
急に名前を呼ばれた。また沈みかけていたらしい意識が、明るい方へと引っ張り出される。しかし今、自分の名前を形作ったのは、あの笑い声ではなかったか? ネロがうつらうつらしながらずっと、夢現の狭間で幽かに追っていたあの声。あの、耳馴染みはないけど、全然嫌じゃない、素敵な声。
それが、ネロの名前を呼んだ。やっぱり、やっぱり、間違いなんかではなくって、あれは本当に、あの人の声なんではなかろうか?
「ネロ。ネロ、寝てるのか……? ふふ、……うふふっ、なんでこんなところで寝てるんだ!」
おもしろいな、と声がやわらかく弾けて、そのままけらけらと笑い出した。すご、い。すごい。なんていうか、なんていうのか……すごい声だ、ってネロは思った。
かわいい。
かわいい……!
やっぱりあの人だ、たぶんぜったいにあのひとだ。うわあ。かわいい。かわいい。確かめなくてはならない。このかわいさ。と、ネロは思った。思った、のは本当に本気でだけれど、しかしやっぱり未だに自分の身体はごろごろだるだる重たいのだった。
「……ネロ!」
起こすのが難しいので、もそもそとどうにか半分だけ寝返りを打てば、今まで背中を向けていた方に座っていた誰かの姿を、ようやっと視界に入れることができた。ちらりと、淡い栗毛を透かす日差しが目を刺したので、ネロはしぱしぱ瞬く。その顔を見て、そう、確かにこちらを見て、その人はネロの名前を呼んだのだった。
「……笑ってんね」
「ふふ、だって、きみが面白いんだ」
「……俺はおもしろかねーだろ……」
どうものそのそとした声になる。けれど案外、自分の喉は言葉を出せるし、目の前の相手は拾ってくれる、そういうものなんだな、と不思議に思った。
「あははっ! それ、それがもう面白い、っあは、うふふっ……」
「……うーん」
ネロは気怠く唸って、仰向けだった自分の姿勢をもう一段、頑張ってみて、なんとか横向きに倒した。さっきの寝相とは鏡向きになった形だ。手が、届きそう。ふと思ったから、伸ばしてみる。……届いた。
「ファウスト」
ネロの手は、ファウストがゆるく羽織っている、パーカーの裾に届いていた。
そのままちょっと引っ張れるかな、と思った。これ、引っ張ったら、ファウストごと、俺の方に、引き寄せられたりしねえかな。
そう思った。思ったら、引っ張っていた。強くじゃない。たぶんパーカーだけ肩から落ちてくるのがいいとこだよなあって、いくら眠たい頭でも分かっちゃいたのだけど。それに、そうなったらちょっと眉を顰めて、なにをするんだって言われる。ああ、けど、今の彼なら、笑ってくれるんかもしれない。笑って、なにしてるんだって、言って、それから。
ずり落ちた上着をきっと、俺の手から難なく取り返して羽織り直すだけ。
「……っあはは!」
笑い声が、弾けた。
さっきからもう何千何万回も聞いてる声な筈なのに、ネロはふと、今だけ、あれ? と思ったのだ。
ファウストの顔を見る。見上げる。
見上げている、筈の彼の、顔が、あれ……? だんだん、なんか、下に、低く、……近、く。
「ぐむ」
「ふは! ぐむ、って、なに……うふふっ」
ネロが潰れた悲鳴を上げると、ファウストがまた笑った。横向きに転がるネロの身体の上に、ファウストの身体がぺしゃっと倒れ伏している。これはすごく変な格好だ。外から見たら一体、どうなってるんだろう。それはどうでもいいんだけど、なんかいろんな骨にファウストが容赦なく体重をかけてくるので、そこそこ痛いのだ。
「ファウスト、痛……重くはねえけど、いてえ」
「ふふ。ネロ……ネロ、僕のこと、呼んだんだろう。これで、合ってるだろう?」
ネロの呼吸は、ひゅっと止まった。
怖い。
そう思ってしまった。
思ったから、……思ってしまったから、どうしようもなくて、固まってしまう。ずっとふわふわしていた思考が、薄くけぶったままの濃度でしゅんっと冷えてゆく。ファウストの服の柔らかさ。お揃いの服だ、けど匂いも手触りさえも違っている気がしてくる、柔らかい、そこへ鼻先が埋もれたままなのも、恐怖に身を竦めた今のネロにはどうしようもなくて、ただただ、これはもうネロという存在に備わった反射神経だから仕方がないんだけれども、無意識に謝罪の言葉だけを探していた。
「――ね、ろ」
そのとき、呼ばれた。
一音節ずつ、大切にするみたいに、ゆっくりと区切った呼び方だった。
そんなふうに自分の名前を扱われたことなんて未だかつてない。そのうえ、そんな扱いをしてきたのが、おそらく、顔は見えていなかったので確証はないけれどこの状況でこんな近くから聞こえてきたということはきっと、寧ろいっそ願わくは、ほかでもないファウストだったから、ネロは、……。
ネロの心は、驚くほど簡単に、じゅわっと溶け出してしまった。
濃度の高い毒霧が心臓の縁にへばりついてぐつぐつと固まり出していたのが、声一つで、ふわって、あっさり気化して、しかもそれは毒なんかじゃなくなってしまったみたい。呪文を使わずにすごい魔法を使う人に、出会ってしまった。とくとくとあったかい血を回すことを思い出した心臓の音を聞きながら、ネロは身動ぎするファウストの感触を慎重に追った。
「……ふふっ」
その瞬間、あ、と分かってしまった。
身体の位置をもぞもぞとずらしたファウストが、ネロの顔を覗き込んで、ふわっと笑ったのだ。
子どもらを見守る、あの顔じゃない。もっと単純に、純粋に自分がおかしく思ったことを、そのままおかしんで笑ってる顔だった。慈愛の微笑みだとか、ましてや嘲笑などでも絶対になくって、ファウストは、ネロの顔を覗き込んで、ただただおかしそうに笑っている。
それは確か、なのだけれど。
「ふは、変な顔! まったく、……なにがそんなに怖いんだ? ネロ、ふふ、かわいい、きみは本当にかわいいな」
ああ。
「…………可愛くねーし……」
どこにどう反撃したらいいのかも分からなくて、いちばん終わりに聞こえた言葉だけをどうにか拾って返す。変な顔は、そうだろう。鏡で見なくたって、今の顔が耳までめちゃくちゃに火照っていることは、自分でも分かる。きっとそれだけの意味の筈だ。眉を下げて口許を歪めて、いい歳して人生の迷子みたいな情けない表情を面に出していたわけはないと思う、ネロに限ってそんなことはたぶん絶対。
「かわいいよ! あはははっ!」
……弾けるように笑うのに、全然、刺さるようじゃないのだ。どこまでもまろやかで、真の陰気であるネロの心にもじわっと染み入ってくるようなのは、声質の所為なのだろうか、それとも彼の柔らかい人格のおかげなんだろうか、とにかく、本当に心地がいいのだ。
微睡んでいたときから、そんなふうに心地よく聴いていた声だけれど。今、ネロの顔を見て笑った、その声を聴いて、その表情を見たとき、ネロはもう一つ別の、新しいことを知ってしまった。それはとてもとても素敵で、ネロにとってまるで世界から祝福を受けたような、たいそうな黄金色の事実だった。
「ネロ……ネロ、きみは、僕にはきみが、すごくかわいい」
そう言ってまた、笑う。ああ。確信する。そうだ、ネロを見て〝かわいい〟って言うときのファウストは、まるで、蜂蜜みたいな色をしているのだ。
向こうで戯れてる、シノとヒースを眺めていたときとは、まったく違う。ネロを見て……いや、ネロのどろっとした甘えに気付いたときにこそ、ファウストの笑い方は、ぐっと蜂蜜に近くなった。あれは、ファウストの言葉を借りるとするなら、彼の言うことをばからしくも真に受けてしまうとするならば、ネロを〝かわいがってた〟からにほかならないということなのだ。
パープルの瞳がきらきらって、光る。人と向き合うとき、なぜだかサングラスを自らずらして剥き出しのまなざしで相対してしまうという妙な癖がある彼だけれど、それでもこんな間近でその瞳を見つめるのは、ネロには初めてのことだった。ほんの数度だけ、キスをしたことと、抱き締め合ったことがある。けれどそのときも……怖ろしくて、見つめ合うことなんかできずに逸らしてしまったんだ。こっちのことを見られるのが怖くって、たぶん彼の方も、こっちなんか見たくもないんじゃないかと思って。けどそれがいちばん怖かった。彼の方では微塵も求めちゃいない重たさで、ネロがファウストを想ってしまってること、それをファウスト自身に知られてしまって、細く繋がってる縁を持て余されてしまうのが。
そんな姿を見るのが、なによりも怖い。そうずっと思っていたのに、今、図らずも酔っ払ってしまって、不意に目の前に現れたものを咄嗟に拒めずまじまじと見つめてしまっていた。そうしてネロは、また一つ、祝福を知ることになったのだ。
「俺、には……ファウストのことが、ずっと、ずっと、かわいく見えるよ」
ぴったりと、ほっぺに手を当てた。あれだけ重たいと思っていた腕は、そうしたいと思ったらするすると持ち上がっていた。
あれだけ、口にすることなんかできないと思っていた言葉までも。ネロの喉を、思ったより嗄れることもなく、まるで昔からずっとそうしていたみたいに滑り出ていった。まるで、ファウストの許こそが、そのあるべき場所であるみたいに。そうと当たり前に知っていたような、そんな怖れのなさで。
ファウストの、夜明け前の空を塗り込めたみたいな目が、まんまるく見開いた。ああ、そんなに大きいのか、あんたの目、そりゃ、隠しておかなくっちゃな、勿体ないもの。盗られてしまう。
そんなふうに思いながら見てたら、触っていたファウストのほっぺたが、ふにゃって、蕩けた。
「ふふ……。僕みたいなのにそんなに恋してるなんて、ほんとに、きみはかわいいな」
「……へ……」
こ、い。
こい……?
ネロは、ぱちぱち瞬きする。見上げたファウストは相変わらず酔っ払って、乗り上げていたネロの身体からころんと滑り落ちてきた。ネロの隣、硬い石の隙間からまばらに草が生えただけの地面へ寝そべって、うわあ寝心地最悪じゃないか! とか喚いてまた笑う。
「……そっか」
「うん?」
「あんたがくれる愛は、蜂蜜みたいな色してるんだなと思って」
「うふふっ……きみが話してくれるそういう言葉が好きだ。奥行きがあっていい。僕は、きみの使う比喩が好き」
「そ、そう」
面食らって、久し振りに目を逸らす。たぶん照れてると思われたので、また笑われた。本当に飽きないな。笑いすぎて死んじゃうんじゃなかろうか。だとしても、世界中を呪いながら死ぬよりも、うんとましなことなのだろうけど。こんな、優しくて人のことが大好きな、いじらしいやつには。
「ふふ……はあ。久し振りに笑った。ネロといると本当に楽しいな」
「俺じゃなくて、場所の所為だよ。酔っ払ってるんだ、あんた」
「けど、こんなに情けなく酔っていても傍にいたいだなんて、やっぱりきみだからだ」
ファウストがほんのちょっと、眉根を寄せて苦しそうにする。薄く引き上げられた口許は、声を上げて笑ってたときよりもおとなしい。
それで、そのうえ、パープル色の縁が、蜂蜜みたいに光って、とろとろとほどけていた。
「そっか」
「……たぶんね」
「ごめんって。そこで引かねえでくれよ。かわいいって……あんたのことがかわいいって、次には言おうと思ってたんだから」
慌てて頭を抱き寄せたら、ファウストは拗ねた声で、そんなの知らないよと呟いた。さっきまでの明るさはどこへやらな声だ。どうしよう。このままじゃ、やっぱりこの子は世界中を呪って死んでしまう。いや、死なないけど。今すぐにじゃないけど、将来の話だ。ファウストが遠い将来に笑い転げて死ねるかどうかは、今のネロにかかっている。ネロの中ではそういうことになっていた。冷静なつもりで、実際まったく酔いは抜けきってなかったのだ。
そもそも、ファウストが言うにはネロは今、恋の渦中なので。そんな状態を冷静だとか思っている時点で冷静じゃない。けどネロは大真面目だった。大真面目にファウストを。
「なあ、……なんて言ったらいいんだろう。あんたは好きって言ってくれたけど、比喩ってつまり、ものごとを遠回しに言ってるだけで。直接まっすぐ、言えないってだけなんだ、俺。けど、でも、だから、……」
言葉を探しながら、思わずファウストの髪の毛を指先でぐしゃぐしゃに弄んでしまっていた。はっと気が付いて、そのことをごめんと謝ると、抱き締めていた頭がのそっと顔を上げた。信じたくないことだけど、ファウストは、怒っているみたいだった。
ふてくされた、と言ってしまうには硬すぎる声が、張り詰めてネロを詰る。
「なにを謝ったんだ」
「あ、……。あんたの髪、なんか無意識に、ぐしゃぐしゃにしちまったこと、……」
「……っふへ」
え。
ネロは目を丸くした。この子、笑った。
「ぐしゃぐしゃにしたのか? やめろよ。というか、なんで今」
「わ、悪い……どう言おうか考えてたら、思わず……手許にあったんで……」
「〝あった〟ってなんだ。きみが抱きしめてきたのに!」
ファウストはなぜか、暗く沈んでいた空気をいっぺんに吹き飛ばして、からころ笑い始めた。ネロの素直に弱った顔を見て、気分が上向いたのかもしれない。それとも疲れ果てたので、改めて石が効いてきたのかもしれなかった。どっちだっていい。ファウストが勝手に笑い始めたことで、彼を幸福に死なせてやれるかは自分にかかってるなんていうおかしな思い込みも、ネロの中で無事に解けた。妙な成功体験を積んでしまわなくてよかったと思う。もし本当に、ネロの言葉なり行動なりでファウストが笑顔を取り戻してくれたりなんてしていたら、ネロはあんなちんけな思い込みを思い込みと知るのに、もっと時間をかけていた気がする。
「やっぱり、ネロはかわいいよ。かわいい。僕にとっては、ものすごく」
……それなのに、当のファウストがそんなことを言うから。恋の色であるところの蜂蜜色のきらめきを、顔に声にいっぱいに纏わせて、ネロなんかの名前を呼ぶから。
蜂蜜みたいに、笑いかけてくれるから。
「……ファウスト」
「うん」
「ファウスト」
「なんだよ、ネロ」
「ファウスト、好きだよ。かわいいかわいいって、一体なんなのかと思ったら、愛おしいとか、胸が痛くなるほど慕わしいとか、たぶんそういう感覚なんだ、これ。ファウストのこと、そんなふうに思うくらい、思いすぎて口に出したくなるくらい、けどやっぱりそのまま言うのは怖いから、〝かわいい〟ってふわふわした言葉にくるんじまいたくて、けどそうやってくるんででもどうしても伝えたいくらい、それに、そんな言葉をあんたから返してもらえたら、魔法がなくたって空を飛べそうなくらい、……好きだ。怖かった。だからずっと黙ってたけど、あんたのことずっと好きなんだよ。上手く言えんくてごめん。けど、ファウストが先に言ってくれたから、俺も、あんたに伝えること自体は、もう謝ったりしなくてもいいんじゃねえかって、……信じてる」
ネロは、目を閉じた。もう眠気はない。浮ついている自覚はかろうじてあったけれど、ネロはどこまでも真剣に、ファウストへの言葉を探したのだ。伝えきれたとは思わないし、的確であったか自信もない。けど、真剣だった。真剣になれた。なにせネロは大真面目に、ファウストを好きだったから。
比喩は、そこに込めた意味が、相手に滞りなく伝わってこそ、漸く言葉としての役割を果たすものだと思うのだ。
「好きだ、ファウスト。あんたのことを、俺、たぶん、愛してる」
もう一度囁いてから、目を開く。どくどくいう心臓とは相反して、心はひどく穏やかだった。
ごく自然に、視線が交わる。胸の奥から滲んでくる微笑みを抑えずにいたネロを見て、ファウストは、静かに、そしてこれは本当にそう信じたいのだけど、とても嬉しそうに、ゆるんだ頬を赤らめた。
外してもいい? ってそっと訊くと、ファウストは小さく頷いてくれた。ネロはファウストのサングラスを、自分にできうるかぎりの優しい仕草でもって取り上げた。
それから、きちんと畳んだそれをうっかり潰してしまったりしないように、丁寧にファウストの手の中に返して。それから。
蜂蜜色の光を浮かべてる、ラピスラズリみたいな瞳と見つめ合う。
ファウストがくれる恋心はハニーゴールドだけれど、ネロがファウストに捧げている恋は、一体どんな色をしてるのだろう。こんなに綺麗で柔らかい色なわけはないけれど、せめて少しは、彼を傷つけない程度には、優しい色であれたらいいのにな。
とろっとした蜜を掻き混ぜるように、熱が絡まり合う。
じっと見つめて。それから、ちゅ、と一瞬だけ触れ合った。彼の唇をこんなに甘いって感じたことはなかった。キスをするのに、こんなに擽ったい気持ちでいたことも。
もっとしたいけど、お腹いっぱいになってしまったような気もして、どっちにしろとてもとても平和な心地でネロはくすくす笑った。ファウストも、そんなネロを見ながらへにゃへにゃ笑う。かわいいな。あんたはほんとにかわいくて、それで、ほんとうに俺のはちみつだ。
さっきまでもう少し日陰だった気がするここは、レモン色の太陽の角度が変わって、すっかり麗らかな日向ぼっこ場と化していた。
少し離れたところから、ヒースとシノの幼い言い合いが聞こえている。うん、そろそろ酔っ払いの介抱しに行かなきゃなあなんて、じぶんのことをすっかり棚に上げて、ネロは猫みたいに目を細めながら、ぽかぽかする気持ちで考えはじめるのだ。
* * *
「なあ、これあげるから、魔法舎に着くまで持っててよ」
「なに……草? 食べれるのか?」
「いいや。この辺、花なんて咲いてねえから……まあ、持って帰れるもんならなんでもいいんだけどさ。ここを離れて、お互い酔いが覚めても、……少なくとも俺は、本気で言ったんだって、そう言ったよなって、それを俺に見せて迫って、あんたに蒸し返してほしいんだ」
「……また、逃げるつもりなのか?」
「そうしたくなるかもしれない。けどそれは嫌だ。だから、ファウストに覚えててほしい。……素面でもあんたと、ちゃんと好きだって言い合えるように」
「……言いたきゃ勝手に言えばいいだろ。僕は言わないけど」
「……え、っ……」
「……。嘘だよ。言う。……ネロが信じてくれたんだから。僕だって、そんなきみをとっくに信じてること、今更後悔なんてしたくないしね」