「……は、むっ……、……」
呼吸みたいなキスを繰り返した。
呼吸よりも呼吸みたいな。息をするよりもうんと生きやすくなるような。
「……っは、ファウスト」
「は、……んん……」
ネロが僕の名前を呼んでキスをやめた。恥ずかしいと思うよりもどうしても求めたくて、僕はむずかるみたいな声を抑えなかった。ネロは、聞いて、苦しそうな顔をした。
どうして。
「もうだめだよ」
そうネロの声が言った。
……どうして?
「……ネロ」
「だめだ」
「……なん、で……」
「……あんたがいなきゃだめ、に、なる」
それを本当にだめだと思っているのなら、言い捨てたときのまま、目を合わせないままでいればよかったのに。
ネロはいろんなものを捨てたがるくせに往生際も悪いから、僕がいなきゃだめになるのが嫌だと吐きつけた次の瞬間に、僕を上目遣いに見つめて、甘ったるいひかりで僕の視線をどろどろに絡め捕ってしまった。
ばかなんだ。
「だめなままでいればいいじゃないか」
「ままで、って……まだだめじゃないんだよ。これから、こんなこと続けたら、今から、だめになっちまうって言ってんだ。だから、」
「まだ僕がいなくても大丈夫なのか?」
尖るまま尖らせた声で言ったら、ネロは息を呑んだ。
「僕がいなくなっても、今ならまだ息ができるって言うの。……きみが生きるのには僕は、そんなに必要じゃないって言うの」
僕がネロといることで漸くこんなにも安らかな息を得ているようには、ネロは呼吸するに際して僕を必要じゃないらしい。へえ。
「……いや……」
「は? 〝いや〟って、なに? どういう〝いや〟? はっきり言って。曖昧でぐずぐずしたきみのことが大好きだけど、譲れないところでそんなふうに誤魔化されたら、僕の情は一体どうなればいいんだよ」
ネロの瞳は、瞬きさえも忘れたように微動だにしなかった。僕の方を見ていなかった。逃げられる。遠ざかる。さよならだ、と直感した。
切ないな。くるしいな。
さびしい、な。
漸く出会った人なのに。夢みたいに素晴らしくて、思い出のようにぴったり嵌まる、日常的な飲料水であり、幻想のような水面であった。
ネロは。僕にとって、僕といるときの、ネロは。
もう既に半身みたいで、さよならなんて、ちぎれそう。
心が引きちぎれそうだ。
「……………………だめだよ」
ネロが、言った。
彼がこっちを向いたことだけは分かった。そのほかに表情もなにも分からない。僕の目はいつからかもうだいぶ長いことぼやけていたから、今やネロの声と、触れる体温とだけが確かなことだった。
ネロの腕が僕を抱き寄せる。まるで暴力みたいにきつく抱き締める。どっどっと雷鳴みたいに怖ろしく打つ脈動が、僕のと混ざって世界の終わりみたいに響いていた。
「……あんたのこと、離せなくなる。あんたから離れたくなくなる。あんたのこと突き飛ばしたくなって、それで、俺も一緒に落ちて死にたくなる。もうずっとだめだ。とっくにだめだよ。ファウストと生きたいし、ファウストと死にたい。ほかのどんな生き方も全部許せなくなりそうで、それがほんとに怖いんだ。あんたがいなくなる想像もしたくない。俺があんたの傍をいなくなる覚悟が、できない、どうせそうなるのに、遠くない現実なのに、見たくない、そっちに行きたく、ない……怖くて、……」
潰されていた腕をどうにか身体の間から突き出して、僕はネロの背中を抱き締めた。ネロは相変わらずばかみたいに抱き竦めてくるから、僕もお返しに爪を立ててやった。服の上からじゃ痕が付かないどころかさして痛くもないだろうから、後でベッドに誘ってみようか……。
「……ネロ」
「……はい」
「ありがとう。重たいな。うれしいよ」
「……さいで」
「僕の情ばっかり粘っこくても、きみがあんまりさらっとしていたらひっつかないじゃないか。きみがそれだけ僕のことをどろどろと好きでいてくれるのなら、あと数百年は大丈夫な気がする」
ネロの首にぐりぐり顔を擦りつけたら、ネロは冷めたふうな、胡乱げな鼻息を吐いた。
「……数百年で離れられると思うの」
「はは! それ、いいな、そういうの、もっとくれ」
僕が本当にうきうきして答えたら、ネロはふてくされたように僕の髪の毛をむしゃむしゃ食み始めた。
お互いに涙を零して泣いていることは少しも指摘し合わないまま、僕はそれがネロという存在とずっと同じ地平に立てていることの揺るぎない証の一つな気がして、身体の底から震えがくるほど嬉しくなって、探り当てたネロの耳にせいいっぱいキスをした。
「――おまえが僕を重たくあいしてくれる分だけ、僕の中のどろどろした情も同じように力を持つ。知ってるか? おまえを絡め捕っていたいって望む僕のあいは、それがそのまま、僕らの運命を操作する呪いだよ。ネロが僕に執着すればするだけ、僕の呪いはそれに応えようとする。僕らの幸運を互いの存在そのものと定義するから、僕らの命運を互いにがんじがらめにする。もう離れられない! 怖くないよ、ネロ。きみが僕を忘れられないかぎり、僕がきみを恋してしまうかぎり、僕らは絶対に離れない。大丈夫。大丈夫だから、……あいして、ネロ」
びっくりしたみたいに目をまんまるくして聞いていたネロは、僕のおねだりに怖る怖る、けれども今度はしっかりと、確かに頷いてくれた。
さっきよりも少しだけ、切羽詰まっていないキスは、溺れたみたいな喘ぎじゃなくて、静かな森の中でする深呼吸によく似ていた。