通話を繋いでゲームをしたりする。
いわゆるサンドボックスは苦手だと思ってた。だって俺だ。目的のないある意味茫漠としたゲーム世界は、それ自体は俺そのものみたいだったけれど、現実の俺自身は、自分で目的を決めて自分で生活を作っていって自分でそれに満足する、という生き方が死ぬほど苦手なやつなんだった。
けれど今、俺はファウストとサンドボックスゲームをしてる。そしてそれが、すごく楽しい。結構楽しい、って独りごちかけてやめた。そんなものじゃない、本当に、日々のちょっとした落ち込みを乗り越えるためのご褒美として自分の中にこっそり据えているくらいに、楽しみで、ファウストとこうやって遊ぶのが、たのしみで、だから、すごく。結構じゃなくてすごく。
すごく楽しいんだ。
「これは俺天才だな……」
「天才。流石ネロ。やっぱり器用だね」
「そこまで普通に褒められるともごもごしちまうけれども……」
「は、冗談だが?」
「あっ……はい……すいません……」
「っていうのが冗談なんだけど。泣かないでネロ」
「泣いてないよ……、知ってるよ」
「ふふ」
「……へへ」
くだらん会話だ。本当にそう。
けど、好きだ。
ファウストがこんなふうにくだらん会話を俺と交わしてくれること。こんなしょうもない時間を一緒に過ごして笑ってくれること。それどころか、正直これが俺にとっていちばん本当に嬉しいことなんだけども、こんななんにもならないような過ごし方をするために、ファウストがいつも、進んで時間を作ってくれているというのが分かること。
俺がもうどうしようもなくそうであるのと、もしかしたら、ひょっとしたら同じように、ファウストも俺と通話を繋いで当て所もないゲームを二人でちまちま弄ることを、本当に本当の楽しみに、してくれているように思えること。
そういうこと全部が、ぜんぶが、ほんとうに俺にとっては奇跡みたいで、身の丈に合わないんじゃないかとか、いつか夢みたいに終わってしまうんだろうなとか、そんなふうに怯える夜は確かに絶えないけれど、それでも、俺はファウストと逢わなきゃよかったななんてこれっぽっちも思えない。奇跡って要はただの偶然で、素敵な偶然というのはつまり単なるラッキーで、そう、運よく転がってきただけの出会いなら、そんなに重たく考えすぎる必要もないんだなって、思えるのだ。
「……っ、ねこ……!」
「せんせ、初めて見る?」
「うん……。……かわいい」
「な。……よかった。見せてやれて。まあただの運だけど」
「ううん。初めてはネロと一緒に見たかったから、よかった」
「……、…………そっか」
当て所もないだだっ広い世界を、ファウストと一緒に、こつこつ資材を集めたり、食料を獲ったり、探検したり偶にエネミーと闘ったりしながら、過ごしてる。生活が作り上げられてゆく。リズムができていく。
もともと目的のない世界に、日々の目標ができてく。ファウストが羅針盤みたいに示してくれる方へ、偶には俺の我儘で地図を描き変えながら。
家を建てよう。武器が必要だ。資材が足りない。
修繕しなきゃ。散歩でもするか。畑が欲しい。
ファウストにねこを見せたい。
それは、俺がファウストと出会ってから今までに貰ってきた人生のやり方を、ぎゅうーっと凝縮してそのままバーチャル世界に詰め込んだみたいな、まるでそんな景色だった。
ファウストと話せない日も、一人で地道な収集や建築を続けられた。次にログインしたときに、俺がここで活動してたってことを、作業の進捗から彼が察してくれたらそれだけで嬉しい。次に彼がプレイしようとしたときに、俺が集めておいた材料がちょっとでも役に立てるならなお嬉しい。次に一緒に遊べるとき、俺が作った物とか見つけた場所とかを一々見せて回って、そうしたらファウストが呆れたみたいな言葉で相槌を打ちながらも、すごく力の抜けたあどけない声で笑ってくれるだろうことが、楽しみで、たのしみで、仕方がない。
ファウストと一緒だから作られていく世界。ファウストがいるから溢れてくる感情。それらは紛れもなく俺自身のものの筈なのに、不思議と、自分で嫌いだと思えなかった。
「……ファウストに見せたかったんだ、ここ。なんとなく一緒に来たかった……。……どう?」
「すごい。……きれい……きれいだ」
「はは、よかった」
すべてが立方体のブロックで構成された、画面の中の世界。四角い太陽と、ぼこぼこしたなだらかでないただ青い海を、ファウストと二人でそうやって眺めていた。
「うん、綺麗。なんていうか……ゲームの中の世界ではブロックだけれど、こっちの世界の解像度で見たら、ものすごく綺麗な景色なんだろうなこれ、きっと。そう思える」
「……、……うん。……そう……、そうだよなあ、……ほんと、……そう、そう思う」
「ふふ。……やった。こんな綺麗な場所でネロとデートできた」
「……っ……、へ……?」
「ネロ、すごい。センスがいい。モテるな」
「……あ、……はは。あんたに喜んでもらえたら、俺はそれでいいよ」
「欲がないなあ」
「そんなことない。……ファウストに好かれたいっていうのが、今の俺のいちばんの我儘だから」
「……ふ。……ふふっ」
ファウストが笑った。やさしい、軽やかな、可愛い、あまいまるい声が、跳ねてた。くるしい。胸が苦しい、俺はファウストが好きだった。
「……なあ、ファウスト」
「ふふ。……うん?」
「……ほんとにデートに誘っても、きてくれたり、する? ……俺と、ふたりで、……、…………」
頭がのぼせたみたいになって、声が上擦って小さくなった。じぶんでなにを言ってるのか分からなかった、画面の中のアバターが無意味にぐるぐる暴れてた。
「……さそってくれるの?」
ファウストの声が、ひびいた。
ちいさくて甘い。
上手く飲み込めなかった。唾を無意識にごくんと喉へ通した俺に、ファウストがしゅおしゅおととろけてしまったみたいな、はかない声で囁いた。
「それなら、嬉しい。すこし久しぶりだね。……勿論、誘われてあげるけど?」
きみがさそってくれるなら、と最後に付け足された言葉が、なんだか泣き出しそうに震えていた。
「俺とデートしてください、ファウスト。あんたに会いたい」
誘う。
誘うよ。
たった数ヶ月会わなかっただけだけど、三日に一回はほんの数分でも声を聞き合ったけど、それでも泣いちゃうくらいにさみしそうな声で「会いたい」って返してくれる、愛しいひと。
確かに、デートなんて言葉を使って俺たちが外出することなんて殆どなかったな。そもそも俺たちは人混みが苦手だし、俺は面倒が苦手だし、ファウストは部屋の外が嫌いで、予定だっていつも合うわけじゃない。
それでもファウストがいてくれる気配を、なにかを介して確かめていたくて、その口実だった筈の砂場は、ちょっとずつファウストとの現実のミニチュアみたいになった。ファウストとの時間を溜め込んだ宝箱みたいなサンドボックスを、一気にひっくり返して、もう今はファウストに会いたくて仕方がない。
「どこがいい? 本物の海、見ようか。温泉でもいいな。そこまでじゃなければ、美術館とか。静かなところ、ほっとする場所、たくさんあるよな。なあ、ファウストは、どこなら行きたい……?」
俺が俄かに勢いづいて、思わず急き込むように畳みかけてしまったら、ファウストはふっと、おかしそうに小さく吹き出した。
「いっぺんに全部、しなくてもいいよ。一つに絞る必要も、ない。海も、温泉も、美術館も、いいね」
――穏やかにふたがった夜も、明るくて大きすぎた昼も、ファウストといたら、そこが俺の居場所になった。呼吸がすっと楽になって、不安にうろうろと逃げ隠れしなくてもよくなった。
どこにいたって、ファウストの隣でなら、俺は安らげる。そこにいられる。
「一つ一つ、思いつくところは全部行こう。ネロといられる人生の時間は、めいっぱい使って、きみと楽しみたい」
やわらかい、ひとことひとことを俺と確かめ合おうとしてくれてるような、揺らがない言葉だった。優しい声だった。
俺はファウストが好きで、ファウストも俺を好きでいてくれたんだった。
「……だな。俺も、ファウストとなら、全部行ってみたいなって思ってたんだ」
ゲームみたいにはきっと上手くいかないけれど、想像で補完していた方がきっと綺麗な世界があるけれど、それでも今は無性に、どうしても、ファウストと会って、二人でどこかへ行って、一緒になにか素敵なものを見たい。
抱き締めたい。顔が見たい。空気に触れたい。共有したい。
――取り敢えず予定が合うのは、次の水曜日。
あんたと二人で、一緒に歩いて、ひょっとしたら手なんか繋いでみたりもして、この広すぎる空の下で、さあ、先ずは、どこへ行こうかな。
サンドボックスに居場所
