体調が優れない、というのは誰にでもあること。誰も悪くないこと。
しるこさんが調子を崩すことも勿論ままある。本人からは「みんべんさんが元気すぎるだけだってぇ」とその度に言われているけれども。
確かに俺が元気じゃないときは無いけれど、そもそも個人の身体のことは他人と比較してどうこう言うべきものじゃない。俺が今、把握しておくべきなのは、しるこさんが俺とのゲーム中に体調を悪くしたという事実だけ。そしてしるこさんが今、するべきなのは、健気な信号を素直に受け取って、おとなしく彼の身体を休めることだけだ。
「やべー……寝不足の上に画面酔いが……」
「あっはっはっは! だーいぶ弱ってますねえ、動きも!」
しるこさんは自身の不調をすっぱりと自己申告して、対する俺は、彼がなるべく気を遣わなくていいように声を上げて笑った。このやりとりは俺たちの付き合いにおいてとても大事なものでもあった。
自分の嫌なことはしなくていい、誘われても断っていい、無理をして相手に合わせない。我慢しない。それは何も二人きりの決め事ではなくて、俺たちグループを、またメンバーひとりひとりを守るために、他ならぬリーダーが繰り返し説いて徹底してくれていることでもある。
だから、当たり前のことだった。今日のこのやりとりも。勿論、bintrollを守るための約束がなかったとしたって、人として取るべき態度の一つだと俺は思ってる。
体調不良は誰の所為でもない。つらいときは休むのも大事。そういう理屈は頭で理解しているし、同時に俺自身の本心でもあるのだ。そりゃあ、しるこさんとゲームが続けられなくなって0.0001ミクロンも残念じゃないのかとかって訊かれたとしたら、それに頷くのはまあ流石に嘘になるんだけれども。でもやっぱり、相手の人自身にデバフかかってる状態でゲームを続けるのは楽しくないし、こっちだって気を遣うので結局据わりが悪いと思う。無理させて絶交されても困るというのもある。
あと普通に寝てほしい。普通に元気でいてほしいんで。
「――この回終わったら休みますか、しるこさん」
「そだね、今日はおとなしく寝よっかな……」
「そーそー、寝て寝て」
俺がそう言ったことは、だからあらゆる点から見て間違ってない筈だった。
それは俺たちの約束事だったから。そして俺自身の本心だったから。ずっとそうだった。今まで少しも疑ったことなんかなかった、寧ろ本当に頼もしいなあと思ってたんだ、この約束をしようと言ってくれた人のことを。俺たちのリーダーのことを。
しるこさん。
……それなのに、なんでなんだろう。
「――じゃあ、お疲れさまです」
「うんー、また元気になったら誘ってね」
「了解です。おやすみなさい。……ごゆっくり」
そうシンプルに伝えて通話を切ってしまってから、今までに感じたこともない、例えようもない胸苦しさにいきなり襲われたのは。
どうしてだ。
俺は、あの人を普通に寝かせてやりたいだけ。普通に休んでてほしいだけ。一人でゆっくりと。いやもしかしたら、あまり悪くなるようだったりしたらはこたろーが世話を焼いてくれたりするのかもしれないけれども、それは置いといて。
ともかく〝俺との〟通話は切れてしまったのだ。俺の声はもう届いてないし、あの人の、配信時とまるで変わらないあの甘えたようなぽやっとした声ももう、聞こえない。今からおとなしく眠る筈のしるこさんは、他のどのゲームにも、ツイッターにさえもログインしないことだろう。してたら殴る。顔文字で。
顔文字で殴るけど、でも、それなのに、なぜだか俺は、俺の知るどれかのアカウントにはしるこさんがログインしていてほしいとばかばかしいことを思ってしまっていた。
一瞬だけ。本当に一瞬だけそう思って、すぐにばかばかしいやと我に返って打ち消す。また元気なときに誘ってよとわざわざ言ってくれたのだ。何を今からそわそわする必要があるだろう……まあ言われなくてもそうするが、ド深夜だろうと明け方だろうと彼がいると見れば誘う所存では元々あるのだが。
だけれども元々そういう所存であるがゆえに、俺はやはり、却って自分自身の心についてとことん首を捻る羽目になってしまった。
通話の繋がってない今、このとき。
どのアカウントからもログアウトしてる今、このとき。
あんたの息を感じる手立てのないこの状態で。
あんたを一人きりゆっくり寝かせてやるという疑いようのない当たり前を、俺はいま、うまれて、はじめて、そんなのはおもしろくないなあと、なんでだか思ってしまっている。