「……なあ」
「喋るなっ、あとで、後でいくらでも聞いてやるから!」
血が、血が止まらない。ナイフに毒が塗ってあったのか、しかも非常に回りの早いものだったようで、傷口から吸い出せども吸い出せども、一向に事態は好転しなかった。
「この後のことだ。……言っておかなきゃならねえことがある」
「だから、」
喘ぎの合間に喉を震わすような明らかに危ういそれを、押し留めようとするも、取り付く島なく躱される。
「お前は。……お前は、もう自由になれ」
「……。何を……」
「俺がいなくなったら、もう、……お前は、この国に構うことはねえ……お前なら、何処ででも、やっていけるんだから」
「……」
「今まで散々引っ張り回したことは……本当に、悪かった……結局、徒労になっちまって。運が悪かったんだと思ってくれ、どうか」
震えかける手を叱咤して止血を施し続けた。
「何を言ってんだお前さん。寝言か? ならちいと休んどけ、ちゃんと目が覚めたらまた聴いてやるから……」
「俺は」
官兵衛は、それを発することを制しつつもひたむきに耳を傾けていた、彼の言葉を、しかしその瞬間、聞き疑った。
「――民を置いても、何を置いても、やっぱりお前のことが、一番だいじなんだよ」
「だから何を……っ、本当に、何を言ってるんだよ! お前さんは!」
もはややみくもに、がむしゃらに、治療に没頭するよう手を動かした。しかし頭の中は、氾濫した河を湛えたようにめちゃくちゃだった。信じたくなかった。彼の言葉を。
「いくらこんな状況で気が滅入っちまってるからってなあ!」
声を荒げて、ただ詰った。
ひたすらに悔しかったのだ。全国民よりも、国の行く末よりも、単なる一家臣が大切? 国主たりながら、そんな世迷い言を胸に抱いているような、低劣で、俗悪で、脆弱な人間のために、己は働いていたのかと。そんな下らない厭うべき人間だったか、己がかつて身を賭して護り、ずっと、ずっと何よりも傍で支えてきたかの者は。
ああ、血が、血が止まらない……。
「官兵衛」
「なんだよ!!」
もう喋るなと諌めることも忘れてしまった。官兵衛は気づかなかったが、晴久はそのとき、それを受けて少しだけ笑んでいた。
「あと一つだ。……漸く、言える」
「なんだよ、遺言以外なら二つでも三つでも聞いてやるさ!」
腹立たしげに言い放たれたその残響に被せて、
「……ありがとう」
聞こえた言葉に、官兵衛ははっとした。
思わず、初めて、動作が止まってしまった。呆然としたまま、首を回す。横たわった晴久の顔を見た。喋るなと言ったのによく動いていた口は、今は声を吐くことをやめていて、その目、――目は、緩く、閉じられ、
「っ……晴久ぁああああ――!!」
肩を抱き起こして揺さぶった。あんなに、やかましいのを嫌った彼が、ぴくりとも身動ぎせず、ただのひとつも小言を吐かない。
今は、もう。
「なん……なんなんだ……なんなんだよ、ほんとうに……」
官兵衛は、首を垂れた。記憶にあるよりもいっそう細くなっているような気がした肩を抱いたまま、項垂れたから、その頬がひたりと、銀糸の髪が解れる白い額へ寄り添った。
「なぜ……なぜ、何故」
「……なぜ、お前さんだったんだ……」
何故、お前さんでなければならなかったんだ。弱く呟いた声の歪みかたと、白いかんばせに伝う幾筋もの水とを目にして、初めて自分がずっと、泣いていたことに気が付いた。